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[特集]

ウクライナの戦地に留まったベトナム人の300日【前編】

2023/01/01 10:16 JST更新

(C) dantri
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 ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、ロシア軍がハルキウ(首都キーウに次いで2番目に大きい都市)に侵入したとき、チン・アイン・トゥアンさん(男性・54歳)の息子はまさにハルキウの玄関口にいた。爆弾やミサイルで次々と攻撃されているとのニュースを聞いて、トゥアンさんの心は火のように燃え上がった。

 トゥアンさんは、戦争が勃発して以来、ウクライナから退避していない数少ないベトナム人の1人だ。トゥアンさんは妻と2人の子供と暮らしている。爆発のたびに振動をダイレクトに感じる戦地で、一家は300日余りを生き延びてきた。

 トゥアンさんが暮らすハルキウはロシアと国境を接し、ウクライナの東の玄関口として、戦略的に重要な地域と見なされている。そのため、2022年2月末から、この都市は3方をロシア軍に包囲され、攻撃を受け続けてきた。ウクライナ軍は、ロシア軍の前進を阻止し、焼き尽くされた村々を奪還するため、反撃しなければならなかった。

 危険にさらされながらもトゥアンさん一家がハルキウに留まったのには理由があった。

 トゥアンさんは北部紅河デルタ地方ハイズオン省で生まれ、1994年に留学のためロシアに渡った。1995年にウクライナに移住して事業を始め、後に妻となるウクライナ人のヤナさんと出会った。そして、ハルキウに暮らす他の多くのベトナム人と同じように、夫婦は市場で衣料品店を開いた。彼らの人生は、2022年2月24日までは順調そのものだった。

 その日の朝、トゥアンさんは早起きして市場に出勤する準備をしていた。しかし、外で絶え間なく鳴り響く爆発音に、何かがおかしいと感じた。それでも、家を出る前にトゥアンさんは妻を安心させようと「ただのごみ収集車の音だよ」とヤナさんに声をかけた。

 自宅から10kmほど離れた市場に向かう途中、トゥアンさんはたくさんの車が行き交うのを目にしながらも、何が起こっているのか理解できなかった。すべてのガソリンスタンドはごった返し、市場に着いてからも、人はいても誰も商売を始めようとしていなかった。

 大きな爆発音を立て続けに聞いて、その場に居合わせた人々は手足が震えた。空中には白い煙が切れ間なく現れ、トゥアンさんの携帯電話の着信音も鳴り続けた。「状況はどう?」「我々の市場は大丈夫?」と、次から次へと連絡が入った。

 ハルキウとロシアのベルゴロドとの間の距離は50kmほどと遠くなく、さらに視界が開けた土地であることから爆発音もはっきりと聞こえ、攻撃の様子も明らかに感じとれた。

 状況を理解したトゥアンさんは、不測の事態に備えてすぐに自宅に戻った。市場の管理委員会も、安全を確保して帰宅するよう呼びかけ、セキュリティ部門が引き続き市場に残り、市場の状況を人々に伝えることになった。

 しかし、その後の数日間は、誰も商売のことを考える気分になれなかった。そして、ウクライナに居住する多くのウクライナ人やベトナム人が、国外退避を始めた。ロシア軍が国境地帯に侵入し、多くの人々がパニックに陥り、逃げる人が増えるほどトゥアンさん一家も混乱した。

 トゥアンさんは、妻と2つの選択肢について話し合った。1つ目は家族全員で退避すること、2つ目は家族全員で留まること。どちらにしても、家族が離れ離れになるという選択肢はなかった。最終的に、当時治安部隊で働いていた息子のため、家族全員でウクライナに留まることに決めた。

 トゥアンさんの息子は22歳で、戦争が勃発したときはハルキウの治安部隊に配属されて間もないころだった。任務は、平時とはまったく異なるものとなった。そのため、息子が仕事に出かけるたびに、トゥアンさん夫妻は不安を募らせた。

 「ロシア軍がハルキウに侵入してきた当時、息子はまさにハルキウの玄関口にいたんです。爆発音が聞こえるたびに彼にメッセージを送り、返信がくると安堵のため息をつく日々でした」とトゥアンさん。

 トゥアンさんたちだけでなく、戦地に赴いたり、現場に立ったりする子供を持つ親たちは皆、同じように心配し、何とかして最速の方法で連絡を取り合おうとしていた。

 トゥアンさん一家はマンションの1階に住んでいる。マンションの隣には別の高い建物がある。「もしもロシア軍に攻撃されても隣のビルが壁になるので、わずかながらも自宅に留まるときの安心材料になっています」とトゥアンさんは話す。

 これまでの300日を振り返ると、トゥアンさんはやはり最初のころが一番大変だったと語る。当時、息子は危険な仕事に出かけ、最前線に赴き、夫妻と12歳の娘は自宅で過ごした。爆発音とサイレンが1日中絶え間なく鳴り響き、たびたび停電し、外出禁止令で移動も難しかった。通りに出れば、攻撃への恐怖でいっぱいだった。

 サイレンが鳴るたびに娘を抱いて地下シェルターに駆け下りた。必死で走りながらも、娘が怖がらないよう、また後に娘のトラウマにならないよう、何か面白いことを言おうと頭を働かせた。一家の大黒柱として、家族が不安にならないよう、怖がらないよう、トゥアンさんはいつも自分の心の中の感情を抑えていた。


後編に続く 

[Dan Tri 26/12/2022, A]
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