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不運にも脊髄動静脈奇形を発症し、20歳から歩行ができなくなったファン・ブー・ミンさんは、並外れたエネルギーと情熱により、車椅子でベトナム国内の30省・市を旅してきた。
1991年生まれ、南部メコンデルタ地方ビンロン省出身のミンさんは、12歳のころから頻繁に背中の痛みに襲われるようになり、脊髄動静脈奇形と診断された。ベトナムでは稀な病気で治療薬もまだなく、ミンさんは国内で2番目の患者となった。強い痛みと共に手足が弱っていく中、ミンさんの両親は全てのお金を費やし、治療のためにミンさんをあらゆる場所に連れて行った。
病気にも関わらず、ミンさんは辛抱強く学校に通い続けた。脚が弱くなり、クラスメイトが急いで帰る中、ミンさんはいつも最後に教室を出た。学校の階段を登る時は友人に助けてもらうか、自力で壁を押しながら登った。毎回の治療を通じて、ミンさんは病気を完治させて元気になる、という夢を膨らませていった。しかしながら期待とは裏腹に、病気はさらに悪化していった。
20歳を迎えると突然ミンさんの脊髄に浮腫が生じ、希望は閉ざされ、自力歩行をすることが不可能になった。悲しみに暮れ、ひどく失望したミンさんはうつ状態になり、悶々と考え込む日々が続いた。「人生を終わらせたいと思う時が何度もありましたが、私は両親をとても愛していました。悲しく、疲れることもたくさんありましたが、すぐに過ぎ去りました。私は前を向いてリハビリに取り組むことにしたんです」とミンさん。
ミンさんは大学を辞めて住んでいたホーチミン市を離れ、故郷のビンロン省で生活することにした。田舎の空気は心地よく、症状の回復にも効果的だからだ。両親に依存しないよう、ミンさんは自立した生活を送るよう心がけた。
そんなミンさんにとって、車椅子に慣れることが大きなネックの1つだった。自分の足で自由に動いていた生活から一転、望んでいなかった車椅子に縛られる生活へと代わり、ミンさんは耐えられない思いだった。車椅子を使い始めた当初は移動するのも難しかったが、徐々に慣れていき、新しい相棒である車椅子を巧みに使いこなすようになった。