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「私は7歳の時から大道芸の一団について、各地を回りながら芸を学びました。当初は年長者たちの芸を見て魔法か何かと思っていましたが、次第にそれはトリックと厳しい練習の上に成り立つ曲芸なのだと理解するようになりました。剣で人の身体を半分に切る芸もそうです。剣の刃は鋭くないし、剣で切る場所とタイミングを合わせることで人の身体は無傷です」とタンさん。
好奇心で一団に入ったタンさんだったが、まさかこれが生涯の仕事になるとは思いもしなかったという。大道芸が最盛期の頃、タンさんは一団と共にホーチミン市や近隣省を巡った。当時の舞台は今のようなステージではなく、音楽も照明もない路上だ。鉄の棒を曲げたり炎を飲み込んだり、電球を噛み砕いたりすると、見物客たちは歓声を上げた。後に大道芸が職業として格上げされ、東南部地方バリア・ブンタウ省のブンタウサーカスに入団した。サーカスの師匠から新たな芸も伝授してもらい、ステージに立つようになった。
当時はサーカスや曲芸の業界は現在のように広く発展しておらず、芸人たちの集う場所と言えばホーチミン市5区のアンビン病院裏にある小さなカフェだった。カフェに正式名称はなかったが、業界では「フオンムアトゥー(Huong Mua Thu)」と呼ばれていて、芸人ならば誰もが知っている有名店だ。それが現在では旧暦12月23日に各地のサーカスや大道芸の一団が一堂に会し、芸人をスカウトする場となっている。
サーカスで経験を積んだタンさんは独立し、試行錯誤しながら身体を張った新たな芸を身に着けていった。「大道芸は芸術なんです。生き残りたければ人と違うことをしなければなりません。他の芸人が1匹のヘビを鼻に入れるなら私は4匹、真っ直ぐな剣を飲み込む芸人がいるなら私は曲がった剣を、それが3本なら私は7本。生き残りたければね」。
そうしてタンさんは鼻に入れるヘビを増やしていき、舌で扇風機を止め、まぶたでひとが2人乗ったトラックを引っ張れるようにまでなった。ドリルを一方の鼻の穴からもう一方の穴へ通すこともできるが、ある時には演技中にドリルの刃が折れ破片が唇に飛び散った。さらに恐ろしいことに砕けた一部が鼻の中にすっぽりはまってしまい流血した。観客がパニックに陥る中、タンさんは自ら鼻の穴から破片を抜き取り、観客にお辞儀をして舞台袖にはけると倒れ込んだこともある。
どんなことが起きても演技を終えてからステージを下りるのがタンさんの信念だ。演技中に手足を火傷したり顔に傷を負ったり、胃潰瘍も日常茶飯事だ。身体を酷使した曲芸の連続で、さすがに季節の変わり目は身体に堪えるという。