[特集]
「剣を置くのは芸を尽くした時」シングルファーザーの大道芸人
2019/08/25 05:46 JST更新
(C) thanhnien |
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観客が目を逸らしそうになるほど身体を張った技を披露した大道芸人は、スポットライトが消えると哀愁が漂う日常生活に戻る。
ステージに音楽が鳴り響く中、大道芸人のグエン・バン・ホアンさん(男性・34歳)は、体勢を整えてひとつ大きな声をあげると左の鼻の穴にヘビを入れ始めた。観客が息をのんで見守る中、あっという間に蛇の頭が男性の口の奥から出てきた。今度は右の鼻にもう1匹ヘビを入れる。観客が顔を背けようとする頃には両方の鼻の穴を通って2匹のヘビが口から顔を出し、男性が両手でヘビの頭を摘まんでみせた。
次に、水で満たされた2つの大きなバケツに繋がれたフックを自分のまぶたに留めた。体勢を整え直立すると、そっとバケツを持ちあげた。まぶたはバケツの重さで引っ張られて前後左右に動いている。さらには7本の剣を飲み込むと、観客は唖然とするばかりだ。
我に返った観客から大きな拍手を送られ、男性が身に着けていた小道具を外し元の姿に戻ると、安堵した観客は大歓声をあげた。芸を終えた男性の目や鼻は赤く、体中汗びっしょりだが、男性は威勢のいい声で自己紹介をした。「私は曲芸のホアン・タンこと、グエン・バン・ホアンです」。
南部メコンデルタ地方ロンアン省カンズオック郡ミーロック村(xa My Loc, huyen Can Giuoc)で、ある家族の父親の100日の法要で曲芸を披露し終わりステージを下りたタンさんの姿は平凡で哀愁を帯びていた。
「私は7歳の時から大道芸の一団について、各地を回りながら芸を学びました。当初は年長者たちの芸を見て魔法か何かと思っていましたが、次第にそれはトリックと厳しい練習の上に成り立つ曲芸なのだと理解するようになりました。剣で人の身体を半分に切る芸もそうです。剣の刃は鋭くないし、剣で切る場所とタイミングを合わせることで人の身体は無傷です」とタンさん。
好奇心で一団に入ったタンさんだったが、まさかこれが生涯の仕事になるとは思いもしなかったという。大道芸が最盛期の頃、タンさんは一団と共にホーチミン市や近隣省を巡った。当時の舞台は今のようなステージではなく、音楽も照明もない路上だ。鉄の棒を曲げたり炎を飲み込んだり、電球を噛み砕いたりすると、見物客たちは歓声を上げた。後に大道芸が職業として格上げされ、東南部地方バリア・ブンタウ省のブンタウサーカスに入団した。サーカスの師匠から新たな芸も伝授してもらい、ステージに立つようになった。
当時はサーカスや曲芸の業界は現在のように広く発展しておらず、芸人たちの集う場所と言えばホーチミン市5区のアンビン病院裏にある小さなカフェだった。カフェに正式名称はなかったが、業界では「フオンムアトゥー(Huong Mua Thu)」と呼ばれていて、芸人ならば誰もが知っている有名店だ。それが現在では旧暦12月23日に各地のサーカスや大道芸の一団が一堂に会し、芸人をスカウトする場となっている。
サーカスで経験を積んだタンさんは独立し、試行錯誤しながら身体を張った新たな芸を身に着けていった。「大道芸は芸術なんです。生き残りたければ人と違うことをしなければなりません。他の芸人が1匹のヘビを鼻に入れるなら私は4匹、真っ直ぐな剣を飲み込む芸人がいるなら私は曲がった剣を、それが3本なら私は7本。生き残りたければね」。
そうしてタンさんは鼻に入れるヘビを増やしていき、舌で扇風機を止め、まぶたでひとが2人乗ったトラックを引っ張れるようにまでなった。ドリルを一方の鼻の穴からもう一方の穴へ通すこともできるが、ある時には演技中にドリルの刃が折れ破片が唇に飛び散った。さらに恐ろしいことに砕けた一部が鼻の中にすっぽりはまってしまい流血した。観客がパニックに陥る中、タンさんは自ら鼻の穴から破片を抜き取り、観客にお辞儀をして舞台袖にはけると倒れ込んだこともある。
どんなことが起きても演技を終えてからステージを下りるのがタンさんの信念だ。演技中に手足を火傷したり顔に傷を負ったり、胃潰瘍も日常茶飯事だ。身体を酷使した曲芸の連続で、さすがに季節の変わり目は身体に堪えるという。
ステージで演技する様子をタンさんの母親が遠くから心配そうに見守る。「私はテレビでさえ、タンが演技するのを恐くて見ることができません。1演目するごとに成功を祈っています。世の中にはたくさん仕事があるのに、どうしてもっと普通の仕事をしないのか…」。身体を張った危険な芸にを見慣れることはなく、いつの時も気が気でないのが母心だ。
そんな母親をよそにタンさんはこう笑う。「大変といえば大変ですけれど、楽しいですよ。メコンデルタ地方へ行けばどこの家からも食事に招かれるし、泊まっていくようにも言ってくれます」。
ある巡業でコメディ俳優のバン・ソンさんに会った時に「人にはそれぞれ向いた芸事がある。君はコメディは演じられないかもしれないが、僕も君のように曲芸はできないからね。お互いに芸を突き進めようじゃないか」と言葉を交わしたこともあるという。
タンさんは2年前に離婚を経験している。妻は毎度タンさんの傷を目の当たりにして耐えられなくなったのだという。「彼女にはより良い生活を選ぶ権利があるから仕方がないよ」と語る顔には寂しさが伺える。2人の子供はタンさんの元に残り、長男はマジシャンになった。タンさんは自らの芸を継ぐことを勧めはしないが禁止することもできないという。しかし、仮にタンさんのように曲芸をしたいと申し出たら、かつての自分がしてもらったように手取り足取り伝授するつもりだ。
「疲れた時には普通の人みたいに8時間働いて夜は楽しく呑みたいって思うことだってありますよ。この仕事は酔ってなんかやったら危なくて仕方がないですからね」とタンさんは笑う。とはいえ、タンさんの芸に対する思いは熱い。「この仕事、飯を食べていくための剣を授かったからには芸に身を捧げるのみです。剣を置くのは芸を尽くした時ですね」。
[Thanh Nien 13:35 26/07/2019, T]
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