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ビエンさんによると、踏切番の仕事をするためには、たくさんのものごとを引き換えにしなければならないという。「踏切番として働いてきた22年間のうち、20年間は家族と一緒にテト(旧正月)を迎えられていません。田舎の友人たちは、私がテトすらも休めないようなどんな大きな仕事をしているのかと疑問に思っているようです」。
「辛かったのは、大晦日の夜に踏切で柵を動かし、電話をかけてきた妻と子供が言葉を詰まらせて必死で涙が流れるのを隠そうとしていたときです。祝日は私たち踏切番が最も忙しいときなので…」とビエンさんは振り返る。
ミン・リーさん(女性)は、踏切番の職に就いてから18年間のうち、ここ10年間はずっと大晦日の夜も仕事で家をあけている。「幸い、夫は私の仕事を理解してくれています。テレビで新年を祝う打ち上げ花火の音を聞き、人々が楽しそうにしているのを見ると、涙が流れてしまいます。でもこの仕事が好きなので、全てを捧げています」とリーさん。
疲れた顔、寝不足でくまのできた目もと、日に焼けた肌…これらを目にしてようやく踏切番の仕事がいかに危険で大変かがわかる。彼らは家族と一緒に居られないことや祝日もないことをも受け入れて、列車が通過するたびに人々の安全とまちの平和を守っているのだ。