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ロアンさんは「ディンさんのマジックは何度も見に行ってましたが、まさか自分が彼と結婚するなんて思ってもいませんでした。学校に行くバスで乗り合わせて、連絡先を聞かれました。両親は結婚に反対しましたが、やがて彼を好きになりました」と馴れ初めを振り返った。幼稚園の先生からマジシャンへの“転職”、それに舞台衣装を用意するのもロアンさんの担当で、初めのうちは大変な思いをしたという。
1970年代後半はバオカップと呼ばれる配給制の時代で、マジックやサーカスでは食べていけない時代だった。コメを買うお金にも困って、ディンさんはマジシャンを辞めようと思ったこともあった。ただ、旧正月(テト)の時期は忙しさが半端でなかったという。「疲れ果てて舞台袖で眠り込んでしまった時もあったが、お客さんの拍手を聞くとつらい事をすべて忘れる事ができた。それがアーチストの最大の喜びだ」とディンさん。
ディンさんとロアンさんは、2人の子を授かった。兄のチャン・ズンさんと妹のキム・ウエンさんだ。血は争えないもので、2人は既にマジシャンとして活躍している。さらにズンさんの妻もマジシャンとして一歩を踏み出し、1歳8か月の息子も最近初舞台を踏んでいる。
ディンさんは、「歌謡ショー、演劇、サーカスには既に専用の施設がある。若い才能あるマジシャン達のために、マジック専用の施設が欲しい」と夢を語った。