こんにちは。
3月に大学を卒業し、4月よりホーチミンで家具メーカーの営業職をしている小野寺天汰(おのでら てんた)です。 空手の世界チャンピオン が打倒ニッポンを掲げ、ベトナムを強豪国にするべく、これから様々なチャレンジをします。
先日9月8日、私はマレーシアで開催された「第1回アジアフルコンタクト空手道選手権大会」にベトナム代表として出場をしてきました。結果は準優勝で、 「第1回全世界フルコンタクト空手道選手権大会」へのアジア枠出場権を獲得し、ベトナム代表として来年日本で闘うことが決定 しました。今回はベトナム代表として初めて試合に出場するにあたり、大変だったことや気づいたこと、今後の課題などを綴ります。
と、その前に大会の概要と出場の経緯について説明したいと思います。現在、「空手」の大会では大きく分けて2つのルールがあります。
ひとつは「伝統派空手」「寸止め空手」といわれるもの。もう一つは「フルコンタクト空手」「極真空手」といわれるものです。どちらにもそれぞれ魅力があり、国内外で多くの人に親しまれています。2020年の東京五輪での採用を目指し、結束力を固め、それぞれが採用に向けた活動を行いましたが、結果的に 「伝統派空手」のみがオリンピック競技として採用 されることとなりました。
「フルコンタクト空手」は東京五輪採用には至らなかったものの、採用を目指す過程において結束力が強まり、初の統一組織である「 JFKO (全日本フルコンタクト空手道連盟)」が発足し、多くの団体が加盟しております。2014年よりJFKO主催の全日本大会が開催されており、 2020年には「第1回全世界フルコンタクト空手道選手権大会」が開催 されることになりました。世界各地で予選が開かれる運びとなり、今年5月に開催された全日本大会で日本代表はすでに確定しております。
4月よりベトナムに住んでいる私にとって、5月の全日本大会に出場するという考えはありませんでした。そんな中、「第1回アジアフルコンタクト空手道選手権大会」がアジア枠代表決定戦を兼ねて開催されるとの情報を得て、ベトナムに来て練習場所もなにもかも決まっていませんでしたが、出場することを決めました。
「アジア大会」という名前ですが、予選を勝ち抜いたわけではありません。ベトナムでの住所と「ベトナムから出場する」という旨を書いた申込書と出場費を提出し、エントリーが完了しました。
大会にはマレーシアやオーストラリア、そして日本や強豪国のカザフスタンからも参加があり約30か国、総勢160名以上の選手によって、体重別男女4階級で開催されました。
アジア大会開会式の様子
ベトナムからの出場者は男子中量級(−75kg級)での出場の私と、新極真会ハノイ支部 からベトナム人選手が男子軽量級(−65kg級)と軽重量級(−85kg級)での出場で計3名です。
ベトナムから参加の3選手
(惜しくも予選で敗れてしまいましたが応援させていただきました。また最後まで応援もしていただきました)
私の出場した男子中量級には37名がエントリー。1回戦はパキスタン人の選手と戦いましたが、それ以降、2回戦、準々決勝、準決勝の対戦相手はミャンマー、台湾、タイで働く、各国からの日本人の方々。そして、決勝戦は日本から派遣されてきた選手との対戦ということで、日本人選手との対戦が続く結果となりました。
男子中量級(ー75kg級)入賞者集合写真
さて、こういった内容での準優勝という結果について、感想を述べたいと思います。まず、率直な気持ちとしてホッとしました。大会出場にあたって、練習環境を整えるところから始まりましたが、 ベトナムにおいて「フルコンタクト空手」の競技者は非常に少ない です。テコンドーや先に述べた「伝統派空手」の道場はたくさんありますが、「フルコンタクト空手」の道場はベトナム国内に10か所もありません。
幸いベトナムでは現在ジムが急増しており、その中でムエタイなどの格闘技のクラスを設けているジムがあります。そんなジムにはサンドバッグなどが設置されているため、「格闘技クラスのあるジム」を中心に探し、入会を決めました。
仕事が終わった後にジムに向かい、 ムエタイクラスが行われている横で黙々と一人で空手の突きや蹴りを練習する日々を行っていました が、自分が強くなっているのか弱くなっているのか、そもそも何のためにやってるんだろう、頑張る意味あるのか、と思い悩みながらコツコツと練習を続けてきました。
空手の試合は対戦相手がいて初めて成り立ちます。一人での練習ばかりで、人と練習をしていないので、
「すごく痛いんじゃないか?」
「攻撃が見えないんじゃないか?」
「自分の攻撃が当たらないんじゃないか?」
と感覚的な面が曖昧で、自分のコンディションが全くわかりませんでした。こんな状態で試合に出たのは4歳から空手を続けてきた中で初めてで、緊張と不安でいっぱいでした。
そんな思いを抱えながら迎えた大会でしたので、 「世界大会出場権を得る」という今回の目標が準決勝を突破した時点で達成されて一安心しました 。もし、1回戦で負けたりしていたら、しばらく立ち直れなかったかもしれません。
黙々と隣で一人で練習を続けたムエタイクラスのみんなと大会終了後記念撮影
今回のアジア大会を振り返ってみると、男女8階級中、7階級を日本からの派遣選手が優勝、1階級をカザフスタンの選手が優勝という結果になりました。何名か入賞に食い込んだ選手やアクロバティックな技で会場を沸かせた選手もいましたが、全体的に 日本やカザフスタンの選手と東南アジア諸国の選手との差ははっきり言って大きく 、危険な対戦もありました。ただし、それは彼らが身体的に劣っている、才能がないという意味では決してなく、 普及度合いや競技人口の多さ、環境によるもの であります。
ベトナムにおけるサッカーやタイのムエタイ、ミャンマーのラウェイなど、国民が愛する人気のスポーツがあります。一丸となって盛り上がる「熱」は日本以上にあると感じていますので、 その潜在的な「熱」を空手に引き寄せられることができれば少しずつレベルが上がっていくのでは? と思っています。認知度が広がった上で、東南アジア各国の代表による団体戦なども行えば、熱狂的なイベントが出来る可能性もあります。
また、先日初の日本開催で大盛況を見せたラグビーワールドカップでは、日本代表が次々と強豪国を破り、ベスト8に入りました。日本代表の躍進の中で主将のリーチマイケル選手を始め、外国人選手の存在は非常に大きかったです。母国を離れ、異国の地で自らの強みを活かし、その国の方々に技術を伝え、共に高みを目指し、感動と歴史を作る。グローバル化が進む現代において、非言語である「スポーツ」の可能性というのはますます大きくなるのでは?と強く感じています。
私は 国籍は日本ですが、ベトナム代表として来年世界大会で戦うからには恥のないような姿を見せる必要があると思いますし、少しでも多くのベトナムの方に関心を持っていただき、愛される選手になりたい と思ってます。
孤独との戦いの中でひとつ結果が出たのは非常に嬉しく思いますが、来年の世界大会はこのままでは勝てないと感じています。1人では難しい部分がありますし、自己満足で終わらず、コミュニティを作り、競技人口をどんどん増やしていくことが自分のためであり、「ベトナムを強豪国にする」という目標達成に近づくことが出来ると思っています。
また、今回自分が1人でも練習を続けることが出来たのは「大会で勝つ」という目標かあったからです。日本では毎週大会が開催されていますが、ベトナム含め東南アジアではなかなか大会がありません。大会が全てではありませんが、 明確な目標設定がしやすいので、小さくても良いから大会の開催も目指さなければいけない と強く感じました。
ということで、
・来年の世界大会で優勝をする
・競技人口を増やす
・指導者を育成する
・定期的に大会を開催する
これらを達成するために活動をしていきたいと思っております。
コツコツと活動を続け、ベトナムのみならず周辺の東南アジア諸国の「フルコンタクト空手」の活性化の一端を担うことができれば嬉しく思います。