パリオー氏によれば、1960年ごろからベトナム戦争の終結を求めるストライキや抗議活動が世界各地で行われ、数百万人もの人々が参加した。パリオー氏や友人たちもこうした活動に参加し、もっと大きな行動をしなければと常に考えていた。
(C) VnExpress |
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そしてついに、その時機がやってきた。1969年初め、1月20日にリチャード・ニクソンが米大統領に就任し、1月25日からパリ和平会談が開かれることになっていた。
3人は、パリのノートルダム大聖堂の高さ100m近い尖塔に登り、南ベトナム解放民族戦線の旗を掲げることを決めた。
3人はパリのノートルダム大聖堂に足を踏み入れたことがなかったため、本で情報を調べた。3人は大聖堂の構造や設計を詳細に記した本を見つけ、尖塔の頂上に登る方法を検討した。
バシュラール氏の妻が、面積17.5m2の巨大なシルク生地の旗を縫う作業を引き受けた。パリオー氏によれば、薄くて丈夫で軽く、よくはためく旗を作るため、サイズや素材も慎重に選んだという。
旗ポールや結び方も、頂上に登る過程で外れたりしないよう計算した。しかし、ほんの小さな動きでひもが引っ張られれば、旗が広がってしまいかねなかった。
準備を終えた3人は、1月18日午前6時に自宅を出発して車に乗り込み、一路パリに向かった。18時ごろ、観光客がいなくなったタイミングを見計らって、3人はノートルダム大聖堂に近付いた。