2人は資源回収で得る利益と、ガーさんが毎月受け取る労災手当で日々の生活を賄っている。この何十年もの間、カムさんはガーさんの脚となって、ガーさんの車椅子を押して仕事に出かけ、日常生活の手助けをする。一方のガーさんは、指文字や読唇を使って、カムさんが他の人と会話する時に通訳している。
(C) tuoitre |
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「カムさんは、今までに故郷や親戚を探したいと思ったことはあるか?」という問いに対し、カムさんに代わってガーさんが答えるが、回答はあいまいだ。なぜなら、ろう者で非識字者でもあるカムさんにとって、故郷というのは時に、言葉にならないノスタルジーであり、幻想のようなものでしかないからだ。
おそらく、カムさんの意識としては、ガーさんが唯一の身内のような存在となっているのだろう。そしてカムさんの心の故郷は、雨の日も晴れの日も長きにわたり自分に代わって通訳し、幸せな時には愛情深く自分を見つめ、困難な時には自分を助けてくれるガーさんの声そのものなのだ。
背中が曲がり、口元にいつも穏やかな微笑みを浮かべているカムさんは、実の兄妹のようなガーさんとの生活に心から満足しているようだ。
時が経ち、2人は高齢になったが、ガーさんとカムさんの物語は、現実と思考に長年刷り込まれてきた「女性」だ「男性」だという固定観念、そして本能論や「(男女間の)無条件」といった概念すらも打ち破った。彼らは夫婦でもなく、完全な他人でもなく、まるで実の兄妹のような関係なのだ。
若かりし頃から現在まで30年以上を一緒に過ごし、2人はすっかり白髪混じりの髪になった。「そんなこと気にしません。それが人生ですから。理由なんてなくても、お互いを頼りにして面倒を見合って、どこに行くにも一緒、それでいいんです」とガーさんは語る。
2人の物語は、人生とは奇妙であり、奇跡なのだということを教えてくれる。彼らを見ると、神様は公平で、誰のことも1人きりにはしないのだとわかる。現代の言葉で言うならば「理解し、愛する」という、至極シンプルなことなのだ。