フランス植民地時代からある共同便所1か所を70人で使う
(C) dantri |
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ハンボン集合住宅はもともと、フランス植民地時代にフランス人が建てた高級ホテルだった。その後、植民地から脱すると、建物は2つのエリアに分けられ、上の階は西洋風のダンスフロア、下の階は合作社の拠点となった。
1世紀近くを経て、現在は10世帯ほどが暮らしているが、土地の区画は不均等に分割されている。住人のほとんどが、代々ここに住み続けている人たちだが、若者はこの生活環境に耐えられず、住人は高齢者ばかりになっている。
集合住宅全体では70人近くが暮らしているが、フランス植民地時代からある、トイレと風呂場を兼ねた共同便所が1か所あるだけだ。もちろん自動ではなく、自分で水を流さなければならない。使い方が汚い人がいても、次に使う人が我慢するしかない。
この共同便所は、1人につき朝夕15~20分しか使うことができない決まりになっている。ピーク時には大勢がタオルや石鹸を手にして通路に並び、順番を待っている。「けんかなんてしょっちゅうで、長いことこもる人もいれば、すぐに出てくる人もいます。夏場にさっさと入浴したければ、時間を節約するために2~3人で一緒に入ることもあります。深夜0時まで順番を待たなければならないことだってありますから」とアインさんは語る。
アインさんの部屋には専用のトイレがあるが、トイレや入浴、洗濯で水を流すとすぐに排水管が詰まってしまう。水が流れなくなるたびに詰まりの解消に数百万VND(100万VND=約6100円)を費すことになるため、このトイレはもはやあってないようなものだ。
超狭小がゆえの問題
2019年、アインさんの父親が脳卒中を起こした。そのとき父親はロフトの3階に横たわっていた。アインさんと母親は、救急車で運ぶために父親を抱えて下りようとしたが、ロフトの階段が狭すぎて、どんな体勢でも自分たちだけでは無理だった。
アインさんは父親が死んでしまうのではないかと怖くなったが、母親は落ち着いて、父親を元の場所に寝かせて応急処置を施したのだった。そして、父親は言葉が発せられるようになり、第一声は「助けてくれ」だったという。
その後、父親が回復すると、両親は市内の別のところに引っ越した。アインさんは毎日、バスに乗って両親の家に行き、両親の世話をして、そこで息子の食事を用意し、入浴や洗濯も済ませる。そして夜になるとハンボン集合住宅に寝るためだけに帰るという生活を送っている。
この集合住宅に移り住んだばかりのころ、アインさんは、旧市街で暮らす人々がそこまで幸せというわけではないことを知った。しかし皆、旧市街ならお金は稼げると言う。だからこそアインさんは、自分の人生を変えたいという希望を抱いていた。
旧市街の住人になったアインさんだが、旧市街で土地使用権証明書を持つと苦労する、という話は本当だったとわかり、その苦しみは想像を超えるものだった。「何世代にもわたってここに根付いてきた人たちは、『逃げる』ことができなくて、何かが変わることを待ち続けているんだと思います」と、アインさんは語った。