「母は女の子を産んだ後、経済的な事情でその子を病院に置いてきたんです。その後、母はまた新しい一歩を踏み出し、私が預けられた祖父母の家からもそう遠くないところに住んで、宝くじを売って生計を立てていました。たまに何やかやと私に渡しに祖父母の家に来てくれていました」とロアンさんは振り返る。
(C) thanhnien |
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そんな生活が続いたが、2015年11月にタインさんは大病を患い、2016年1月に亡くなった。タインさんは亡くなる前、ロアンさんには実は異父姉妹がいるのだと伝えた。そして、人生で一番の後悔は、その子を手放して二度と会えなかったことだと明かした。ただ、ロアンさん自身も、エマさんの父親が誰なのかはついぞ知らなかった。
母親の話を聞いたエマさんは、深く感動した。エマさんは、母親がお腹を痛めて産んだ自分を捨てたのには何か特別な理由があったからだとわかっていたため、母親を責めたり、母親に怒りを覚えたりしたことはこれまでに一度もないという。むしろ、母親のおかげで今の生活があるのだと感謝している。エマさんは産んでくれた母親に感謝しながらも、恩を返すことができなかったとも思っている。
「母は生涯、子供に対する後悔に苛まれて生きていたと思います。母に対しては、怒りよりも愛情のほうが大きいです。それにしても、私たちは本当に似ているところが多いですね?」と、エマさんは隣に座るロアンさんを見ながら笑って言った。
そして2人は、お互いの今までの人生を語ったり、書類の情報を比べたりしながら、何時間も話し込んだ。
エマさんは、自分のルーツを知らずに生きるのは難しいことだったとロアンさんに打ち明けた。エマさんは、ロアンさんこそが自分の人生における最も大きな疑問に対する答えであることを願った。一方で、もしもロアンさんの母親が本当に自分の母親だったら、もっと早くに母親を見つけられなかったことを後悔するだろうとも考えた。
「もしもっと早く母に会えていたら、その人が母親だと知ることができていたら、母は自分を責めずに済んだかもしれないし、私も少しでも母を助けることができたかもしれない。ひとまずDNA検査を受けて、良い結果を待ちたいと思います」とエマさんは涙を流した。
2人の会話を聞いていた通訳のタオさんは、感動せずにはいられなかった。きっとタオさんにとっても、これまでに立ち会った中で最も特別な物語の1つだっただろう。タオさんもまた、奇跡が起きて2人が実の姉妹であることを望んでいた。