妊娠し、お腹が大きくなってもバイクに乗って茶畑の丘に登り、生姜やニンニク、唐辛子などの自然素材から虫除けを作り、茶の木と共生する微生物を育て、牛糞を木の根元に撒いて肥やしにした。
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子供が1歳にならないうちから、バンさんは子連れで様々な見本市に出かけた。子供と一緒に講習会にも参加し、学校や見本市の会場の庭で子供が昼寝をすることも度々あった。長距離移動や不規則な食事のせいでバンさんの母乳が出なくなってしまい、子供が空腹で泣くこともあった。「泣いている子供を見て、自分はそんなに困難な道を選んでしまったのだろうか、と自問しました」とバンさん。
2020年半ば、バンさんの畑の土壌に柔らかさが戻ってきた。茶の木の先端は競うように大きくなり、伝統的な手法の茶畑よりもむしろ良い出来になった。強い日差しの中、他の畑は元気がない様子だったが、バンさんの畑の茶の木は生き生きとしていた。
村で茶畑を営んでいる人々はバンさんの畑を見学に訪れ、何人かはバンさんの栽培方法を学び始めた。バンさんはソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)でも茶の木を育てたり茶を作ったりするプロセスを共有し、商品を注文してくれる顧客も出てきた。そして、ハノイ市に住む友人も、バンさんの有機農法の茶畑を一緒に運営してくれることになった。
顧客ができ、辛さを共有できる仲間ができて、バンさんはますます力が湧いてきた。商品のパッケージをデザインし直したり、わらを集めて乾かしてから茶葉を包み、遠方に運ぶ際に茶葉がつぶれないよう、環境に優しい緩衝材を使ったりと工夫を重ねた。
2021年6月、バンさんのブランドである「アンバンチャー(An Van Tra)」の商品はISO規格を取得し、都心部からも多くの人々がバンさんの茶畑へ見学に訪れるようになった。
「都会を捨てて田舎に戻った妹を恥ずかしく思っていた両親も、今ではバンを誇りに思っています。お客さんが家に来ると、両親はいつもバンの『有機栽培茶』でもてなすんです」とバンさんの姉であるギエップさんが教えてくれた。
2021年半ば、西北部地方ライチャウ省の中学校で10年間教師の仕事をしていたギエップさんは、公務員の夫と共にタイグエン省に帰り、妹の仕事を手伝い始めた。さらに、姉の同僚もバンさんの起業の話を聞いて、仕事を辞めて茶畑を手伝うようになった。もともと2880m2程度だった茶畑は、今では1ha近い広さになった。
「10年ぶりに、自分も父も昔と同じ風味のお茶を味わえるようになったよ。ありがとう!」これは、都市部に住む顧客からバンさんに送られたメッセージだ。バンさんは毎日、顧客からのメッセージを受け取り、この3年間の汗と涙には全て意味があったのだと実感している。