しかし、男性は証明書を持っていなかったため、娘を引き取ることができなかった。その後、その男性がセンターに現れることはなかった。ノーさんの乳母は、その男性が実の父親だと直感し、まだ名前のなかったノーさんに「グエン・ティ・ノー」と名付けたのだった。
(C) thanhnien |
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「ノーはとても良い子で大人しく、寡黙でした。心の内を外に出すことはありませんでしたが、いつも心の中に感謝の気持ちを持っていました」と、チーさんはノーさんの幼少期について話した。
2002年、ノーさんと他の子供たちは勉強を続けるため、チーさんの紹介でトゥードゥック区少年村に移った。ノーさんも皆も、慣れ親しんだ家を突然離れなければならなくなり、たくさんの不安を抱えていた。
当時についてチーさんはこう付け加えた。「ノーはショックを受けて、自分の家として過ごしてきたセンターを離れるときには泣き叫んでいました。そのとき、私はあえて振り返ることはしませんでした。彼女たちを連れて少年村に着くと、私は車に乗ってそのまま帰りました。その後も週末には少年村を訪問し、彼女たちを励ましていました」。
2020年11月末のある午後、トゥードゥック区少年村を出た女性たちが暮らすシェアハウスで、チーさんはガムさんから引き継いだ孤児たちに関する日誌のページをめくっていた。
その中で、ノーさんに関する情報は空白になっていた。唯一書かれていたのは、「グエン・ティ・ノー」という名前だけ。ノーさんは家族に関する思い出の品なども何もなかった。ノーさんの年齢も生年月日も、ガムさんが決めたものだ。ノーさんが持っていたのは出生届と、児童養護センターで撮った1枚の写真、そして大人になったら少年村を出て生まれ変わるのだという決意だけだった。