―――1960年代というと監督ご自身も生まれる前ですが、当時を描くにあたってどのような点にこだわりましたか。
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何を描くにしてもリサーチはとても大切で、詳細まで調べます。私にとって幸運だったことは、とても優秀なプロダクションデザイナー、美術の方に出会えたことでした。また、当時のサイゴンに住んでいた人たちにも会いに行って、当時の様子を自分の耳で聞きました。
この映画は制作費自体が限られていたので、なるべくお金がかからないような脚本を書いて、撮影現場は2か所を当時のように再現しました。映画の中の衣装も、色使いなどもプロダクションデザイナーにお任せして作っていきました。
―――アオザイやドレスなど、衣装の柄も色もレトロでとても素敵ですよね。特にタイル柄は、ちょうど作品が公開された2017年ごろからこの柄をモチーフにしたアオザイや小物、カフェなどを現地でよく見かけるようになった気がします。レトロブームの火付け役ともなったこの作品の衣装のこだわりや、エピソードを教えてください。
自分たちがこの作品を作っているときは、「すごく好き!」という感覚しかなかったんですね。ファッションもとてもきれいだし、ゴ・タイン・バンさんも「私にお母さん役をやらせて!」と言ったぐらいなんです。やっぱり皆ああいうファッションが好きで、作っている私たち自身がとても楽しんでいました。そういう想いが自然にエネルギーとして大きくなり、どんどん伝播していき、ヒットにつながったのだと思います。
作っている間は「ああ楽しい!」、「ああきれい!」としか思っていなかったのですが、例えば服以外にセリフも昔のマダムたちが話していたような、ちょっと古い言い方を取り入れたりして。そういうものがトレンドとして生まれて、ひとつの文化になったんじゃないかと思います。
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―――「サイゴン・クチュール」はSF要素もあるわけですが、タイムトラベルものにしようと思ったのはなぜですか。
この映画を作るときに、若者にたくさん観てもらえる映画にしようと思ったんです。ただ、今の若者たちにとってアオザイがテーマだとつまらない。でも、ファンタジーはすごく好きなんですよね。なので、今回はタイムトラベルを取り入れました。
―――監督が一番印象に残っているシーン、お気に入りのシーンを教えてください。
一番好きなシーンは、ニュイとアン・カイン(An Khanh、2017年のニュイ)がけんかをするところです。書いていて泣いてしまうぐらい好きです。2人のやりとりをよく聞くと、結局のところアン・カインはニュイ自身であり、他人を責めているんだけれど実は自分自身を責めていて、別人なんだけれど自己批判をしている。(アン・カイン役の)ホン・ヴァンさんも、(ニュイ役の)ニン・ズオン・ラン・ゴックさんも、このセリフを全部きちんと理解してくれて、素晴らしい演技をしてくれたからこそ、このシーンが成功したのだと思っています。
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―――監督ご自身についておうかがいします。監督ご自身は、どういった経緯で映画の世界に入られたのでしょうか。脚本家、また監督として映画に携わることになったきっかけなどを教えてください。
小さいときから映画が好きだったんです。19歳の時に脚本家、助監督として「1735km」という作品に携わりました。実はこの映画はあまり成功しなかったのですが、それでも映画を作っていてすごく楽しかった。映画を作るというのは大変ですが、やっぱり楽しいんです。人生をエンジョイすることで良い作品ができると私は思っていて、あれからもう15年、16年経ちましたが、今も変わらずその精神で作っています。
―――監督にとって転機となった作品は何ですか。
自分の作品ではなく、今まで観てきた中で自分の映画人としての転機になったものの1本は、バズ・ラーマン監督の「ムーラン・ルージュ」(2001年公開)です。ミュージカル映画なのですが、映画としての要素も素晴らしいし、歌も素晴らしい。この要素は、今回の「サイゴン・クチュール」にも少し取り入れています。
もう1本はアンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」(1972年公開)。スペーストラベルが好きなんですよ。1969年というのは月面着陸の年。だから「サイゴン・クチュール」では1969年を舞台にしているというのもあります。今年は2019年で、人類の月面着陸からちょうど50年。「サイゴン・クチュール」が日本で今年公開されるというのは、とても意味がありますね(笑)。