現在は毎月旧暦の1日と15日に母娘で市場へ行き、精進料理店の手伝いをしてわずかな食費を得ているほか、アンさんの障害手当てで何とか暮らしている。
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「以前は私も雑貨などを売っていましたが、娘が病気になってからは世話をするために家にいなければなりません。これまで入院費や薬代にお金をどれだけ費やしてきたか分かりませんが、病気はなかなか軽くなりません」とフエさんは声を振り絞る。
ジエン・ビック・ゴックさん(49歳)の夫は軍隊の士官だったが、不幸にも交通事故で亡くなった。23歳になる1人娘は先天性脳性麻痺で、子供のように手がかかる。夫が亡くなって15年、ゴックさんは娘を養うためにあらゆる仕事をしてきた。苦労が多いのはマンションに住む他の女性も同じこと、運命は受け入れるしかないとゴックさんは話す。しかし、唯一の心配は自身が亡くなった後に娘の面倒を見る人がいないことだと、娘を胸に抱き涙する。
入居当初の女性たちはみんな哀しみや貧困で心を閉ざしていたが、時が経つにつれ互いに打ち解けあい、実の姉妹のように思い遣るようになった。それはきっと女性たちが苦労の多い運命にあり、男手がないという共通点を持っていたからだろう。
女性たちにとって子供は人生の光であり、子供たちを一人前に育てようという決意を胸に子育てをしている。幼い頃から足が不自由なホー・ティ・タインさん(44歳)が息子を連れてマンションへ来たのは、まだ息子に初乳も飲ませていない産後すぐのことだった。その息子も小学4年生になり、ずいぶん楽になった。
タインさんは車いす生活ながらも毎朝家の前で雑貨屋を開き、夕方にはお菓子も販売し収入を得ている。息子の送り迎えは、タインさんに代わりご近所さんたちが交代で行っている。