ホーチミン市1区グエンフエ(Nguyen Hue)通りは、もともと現在の同市中心部にあたるバットクアイ(Bat Quai)城とサイゴン川を結ぶ運河だった。しかし、後に埋め立てられて花通りとなり、2015年にベトナムで初めての歩行者天国へと生まれ変わった。
(C) vnexpress, グエンフエ通り |
(C) VIETJO, フラワーロード準備中のグエンフエ通り |
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歩行者天国となったグエンフエ通りは、ホーチミン市人民委員会庁舎の対面に位置している。毎日何千人もの人々が行き交い、特に夜、週末、そしてイベントの日はとても賑わう。ホーチミン市で最も美しい通りだが、この場所が1790年にグエン・アイン(Nguyen Anh)こと阮(グエン)朝(1802~1945年)初代皇帝ザーロン(嘉隆)帝(在位1802~1820年)によって建設された、サイゴン川からザーディン(Gia Dinh)城(バットクアイ城)に水を運ぶ運河だったことを知る人は少ない。
バットクアイ城の南側、現在のレタントン(Le Thanh Ton)通りにあたる場所には、サイゴン川に向かってカングエン(Can Ngueyn)とリーミン(Ly Minh)という2つの門が設置されていた。そして、船が入れるよう、現在のバクダン船着場からホーチミン市人民委員会庁舎の正面入り口に向けてまっすぐ続くキンロン(Kinh Long)という名前の運河が形成された。
当時、この運河沿いに布を売る多くの華僑が集まっていたことから、政府が決めた「キンロン運河」という名前の他に、人々はこの場所を「布市場」と呼んでいた。またフランス人は、この運河を「グランド(Grand)運河」と呼んでいた。
フランスがサイゴンを占領した後、1861年にフランスのシャルネ(Charner)提督は市町村に関する規定を公布した。キンロン運河は「シャルネ運河」という名前に変わり、運河の両側の通りは「リゴードジュヌイイー(Rigault Genouilly)通り」と「シャルネ通り」(現在のパレスホテル・サイゴン=Palace Hotel Saigon側)と名付けられた。シャルネ通りは中国・広東省出身の多くの華僑が集まり商売をする場だったことから、「カントン(Canton)通り」とも呼ばれていた。