バーさんは粥売りの仕事を「子どもたちを癒す仕事」だと表現する。常に大事にしているのは、粥をおいしく炊くこと、出処のはっきりした米や野菜のみを使うこと。新鮮な食材を使うためコストはかかるが、子どもたちが美味しいと喜んでくれればそれでいい、と彼女は言う。
(C)Vietnam.net, ハノイ市の滋養粥屋 |
(C)Vietnam.net, 建設ラッシュに沸く粥屋の故郷 |
2年たった今、ひとつの鍋から出発した屋台は、2つの「支店」を構えるまでになった。3店合わせた売上は月額4500万ドン(約18万円)ほど。
バーさんに倣ってフークー郡の人たちが次々にハノイ市に来て滋養粥の店を始めるようになり、今やハノイ市のどこにでも見かけるようになった。商売が繁盛している人が多く、中には、高所得者の住むCiputra新都市区で月に5000万ドン(約20万円)も稼ぐ粥屋もいるという。
現在のフークー郡の様子を知ろうと、同郡を訪れてみた。粥屋の多いドンカップ村のロン村長によると、同地区には350世帯ほどが住んでいるが、その約4分の1はハノイ市に出稼ぎに行っているという。粥屋の仕事は各家庭に急激な変化をもたらしており、出稼ぎに出て4、5年足らずで家を建てる人も多く、現在建設ラッシュに沸いている。中には家族総出でハノイ市に出て、高層マンションで暮らしているという例もあるそうだ。