5月10日、故ルオン・ディン・クア農学博士の妻である中村信子さんが亡くなった。99歳だった。
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クア博士が農業分野に多大な貢献をした研究者として知られるなら、信子さんは、夫を、ベトナムという国をひたむきに愛した人として知られる。
信子さんは、戦争のなか夫とともに子供を抱えてベトナムに帰国。質素な食事、コーヒー色の水での水浴びという生活をしのぎ、ベトナムの声放送局(VOV)のアナウンサーとして、戦火のハノイ市から故郷へと日本語でニュースを伝えた。
1975年4月30日には、首都ハノイ市の至るところで大きな爆竹が鳴り響き、老いも若きも男も女も、誰もが道に出て勝利を分かち合った様子を日本語で伝えた。
信子さんの次男の妻ザーさんによると、先日の4月30日に、家族で電話に保存していた当時の録音を信子さんの耳元で聞かせた。老衰でこの数か月は病床に伏していた信子さんだったが、あの日の自分の弾んだ声を聴くと顔がぱっと明るくなり、目を大きく開いて孫子の顔を見て頷いたという。信子さんは、子供たちが皆そろうのを待って、旅立った。
クア博士を愛し、ベトナムを愛した信子さんは2000年に、回想録「ハノイから吹く風」を日本で出版している。
クア博士が1975年12月28日に急死した後、信子さんと子供たちはホーチミン市に移り住んだ。信子さんは息子とともにたびたび、クア博士の故郷である南部メコンデルタ地方ソクチャン省の親戚を訪ね、またホーチミン共産青年同盟(青年団)中央執行委員会が創設した、農業分野で貢献のある若者に贈る「ルオン・ディン・クア賞」の活動で全国各地を回った。