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墜落から35年後の2010年、ベビーリフトの孤児たちは墜落現場を訪れたが、当時そこはまだ草木が生い茂る空心菜畑だった。しかし後になると、周辺に多くの家が建てられ、現場を探すのがかなり大変になった。
「幸い、ある地元住民の男性が私たちを迎え入れてくれました。飛行機のエンジンが墜落したところが、彼の土地だったんです。彼が祠を建ててくれて、落ちたエンジンを保管してくれていたおかげで、過去に同じ境遇で亡くなった同郷の皆を偲ぶための場所ができたんです」とトリスタさんは語る。
2010年以降、毎年4月になると、ベビーリフトの孤児たちは墜落現場を訪れ、犠牲者を追悼している。事故から50年の節目にあたる2025年は、例年よりも多くの人が集まった。事故後初めて参加したという人も多かった。
事故の生存者の1人である、ベトナム系米国人のアリン・ロックハートさん(女性・51歳)は、自分はあまりにも幸運だったと感じている。「事故から50年が経った今、この場所に戻り、あの飛行機に一緒に乗った人たちのことを偲ぶのは、とても悲しく、感慨深いです」と、アリンさんは目に涙を浮かべながら語る。
今回、アリンさんは犠牲者に心からの思いを込めて、黄色いアオザイに黒いパンツを合わせた。アリンさんは今回のベトナム滞在中、実の母親や家族を見つけるという希望を抱き、南部メコンデルタ地方ビンロン省を訪れるつもりだと話した。
ベトナム系フランス人のステファニー・ラシーヌさん(女性・51歳)も生存者の1人で、この意義深い追悼の日に参加できることを心から幸運に思う、と話す。彼女によれば、今回の追悼式にはベビーリフトでフランスに渡り、養子となったベトナム系フランス人20人が参加したという。