[特集]
ベトナム戦争の孤児ら乗せた米軍機「ベビーリフト」墜落から50年
2025/04/13 10:05 JST更新
) (C) tuoitre |
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2025年4月4日、ベトナム戦争末期の米軍による「オペレーション・ベビーリフト」の航空機墜落から50年を迎え、墜落現場となったホーチミン市12区ブオンライ(Vuon Lai)通りで追悼式が行われた。
「オペレーション・ベビーリフト」とは、1975年4月30日のサイゴン陥落前のベトナム戦争末期に米軍が行った南ベトナムの孤児を国外へ避難させる空輸作戦で、3000人以上の南ベトナムの孤児が米国やオーストラリアなどに養子として迎えられたとされている。
1975年4月4日、「オペレーション・ベビーリフト」の第1便として、乗員乗客314人を乗せたロッキード製の軍用超大型長距離輸送機「C-5A(ギャラクシー)」(機体番号68-0218)が、タンソンニュット空軍基地(現在のホーチミン市タンソンニャット国際空港)を離陸した。
しかし、離陸から約20分後の16時ごろ、12区の田畑に墜落した。314人中、138人が死亡し、生存者は176人だった。
墜落現場で行われた50年の節目の追悼式典には、事故の生存者や、別の便で海外に渡り、養子として迎えられた当時の孤児ら100人以上とその子供や親族が集まり、犠牲者を弔った。
非営利団体「オペレーション・リユナイト(Operation Reunite)」の代表を務めるトリスタ・ゴールドバーグさんはベトナム出身で、ベビーリフトで米国に渡った。同じくベトナム出身の姉であるモニカ・クック・グエンさんや、彼女たちと同じようにベビーリフトで海外に渡り、養子となった他のメンバーとともに、4月4日の早朝からホーチミン市1区のベンタイン市場を訪れ、墜落現場に供える果物や花を選んだ。
トリスタさんは、幸運にもかなり早い時期に実の家族を見つけることができたが、自分と同じような境遇の人たちがルーツを探したいと願う気持ちはよくわかる。そんな彼女は25年以上にわたり、祖国への帰国を願う世界中の何百人ものベトナム出身の養子たちやベビーリフトの孤児たちに向けて、会合やつながり、交流の場を積極的に企画してきた。
墜落から35年後の2010年、ベビーリフトの孤児たちは墜落現場を訪れたが、当時そこはまだ草木が生い茂る空心菜畑だった。しかし後になると、周辺に多くの家が建てられ、現場を探すのがかなり大変になった。
「幸い、ある地元住民の男性が私たちを迎え入れてくれました。飛行機のエンジンが墜落したところが、彼の土地だったんです。彼が祠を建ててくれて、落ちたエンジンを保管してくれていたおかげで、過去に同じ境遇で亡くなった同郷の皆を偲ぶための場所ができたんです」とトリスタさんは語る。
2010年以降、毎年4月になると、ベビーリフトの孤児たちは墜落現場を訪れ、犠牲者を追悼している。事故から50年の節目にあたる2025年は、例年よりも多くの人が集まった。事故後初めて参加したという人も多かった。
事故の生存者の1人である、ベトナム系米国人のアリン・ロックハートさん(女性・51歳)は、自分はあまりにも幸運だったと感じている。「事故から50年が経った今、この場所に戻り、あの飛行機に一緒に乗った人たちのことを偲ぶのは、とても悲しく、感慨深いです」と、アリンさんは目に涙を浮かべながら語る。
今回、アリンさんは犠牲者に心からの思いを込めて、黄色いアオザイに黒いパンツを合わせた。アリンさんは今回のベトナム滞在中、実の母親や家族を見つけるという希望を抱き、南部メコンデルタ地方ビンロン省を訪れるつもりだと話した。
ベトナム系フランス人のステファニー・ラシーヌさん(女性・51歳)も生存者の1人で、この意義深い追悼の日に参加できることを心から幸運に思う、と話す。彼女によれば、今回の追悼式にはベビーリフトでフランスに渡り、養子となったベトナム系フランス人20人が参加したという。
「私の脚に今も残るけがの後遺症は、事故によるものかもしれませんし、あるいは戦争の痕跡なのかもしれません。いずれにしても、こうして祖国に戻り、自分と同じように海外で養子になったたくさんの兄弟姉妹とともにここに立つことができるのは、この上ない幸運です。きっとあの事故のとき、死神様はまだ私のことを呼んでいなかったんでしょう」とステファニーさん。
同じくベトナム系フランス人のサンディ・ラフォンさん(女性)は今回、夫と、13歳と9歳の2人の息子を連れて追悼式に参加した。「世界中に暮らしている、私と同じように孤児から養子になった兄弟姉妹と再会することができて、とても嬉しいです。事故で亡くなった皆にも、心から哀悼の意を表したいです」とサンディさんは語る。
ベトナム系米国人のケビン・マースさん(男性・50歳)は、妻と、9歳と6歳の2人の娘とともに追悼式に参加した。ケビンさんが追悼式に参加するのは10回目だ。ケビンさんは、自分の故郷について家族にもっと知ってもらいたいという思いから、家族で参加したという。
「娘2人がベトナムを訪れたのは今回が初めてです。こうして家族全員で来ることができてとても幸せです。2019年にベトナムへの帰国を計画しましたが、残念ながら新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行してしまいました。そして今この瞬間、ここに立つことができて感無量です」とケビンさんは打ち明ける。
先のモニカさんは、追悼式で思いがあふれた。「何と言えばいいのかわかりませんが、きっと、生きているということ、健康であるということ、そして今この瞬間にここに立っているということが、何よりも幸せなんだと思います」とモニカさんは語った。
[Tuoi Tre 22:14 04/04/2025, A]
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