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大きな広場を通過したときに、一行はパトロール中の警察に遭遇した。「3人とも逮捕されるかと思いました」とパリオー氏は話す。当時の状況は緊迫しており、フランス当局は抗議活動への参加者を積極的に逮捕していたのだ。
「バシュラールのことだけが心配でした。私とグラフはただの独身でしたが、バシュラールは公務員で妻もいましたから」とパリオー氏は語る。警察は、スイスのナンバープレートを見ると笑顔でそのまま行くよう3人に合図を送った。こうして3人は危険を逃れた。
午前4時、ノートルダム大聖堂の近くにいた警察が、尖塔の頂上に旗がはためいているのに気付いてサイレンを鳴らした。しかし、頂上に登るための階段の鉄の棒は切断されており、頂上に近付くことすらできなかった。
その日の15時になってようやく、政府はヘリコプターを派遣し、空から尖塔の頂上に降り立って、旗を撤去した。
当時ジャーナリストとしてパリに滞在していた東方発展研究所のチン・クアン・フー所長は、ノートルダム大聖堂の頂上に南ベトナム解放民族戦線の旗がはためいているのを見て、感動したという。
「私も多くの国のジャーナリストも、カメラを持ってきて写真を撮りました。その瞬間はとても特別で、胸がいっぱいでした。どの英雄がこの旗を掲げたのか、そして彼らがどこからやってきたのか、疑問に思いました」とフー所長は話す。
この旗は、平和を愛する世界中の人々に対して、戦争に反対するよう訴えるためにはためいていたのだ。