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[特集]

ノートルダム大聖堂にベトコンの旗を掲げた3人のスイス人【後編】

2024/12/01 10:13 JST更新

(C) VnExpress
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  次の試練は使徒たちの像だった。本によれば像の高さは2m程度ということだったが、実際には2倍もあった。さらに屋根は勾配が急でつかまるものもない。2人は使徒たちの像を越えるのに1時間近くを要した。

 「建物は何百年も前に建てられたもので老朽化していたため、我々はゆっくりと進むしかありませんでした」とバシュラール氏は語る。

 尖塔は上に登るほど狭くなる。2人はようやく頂上の十字架の近くまでたどり着き、ここでパリオー氏は止まり、バシュラール氏が旗を掲げるためにさらに少しずつ登った。

 「冬は風が強く、地上から100m近い高さ、しかも命綱もないとなれば、さらに寒く感じられました。手は痛み、顔は銅のさびで真っ黒でした」とバシュラール氏は振り返る。

 しかしついに、頂上に旗を設置して留めていたひもを引っ張ると、尖塔の頂上に赤と青の旗がはためいた。この光景は3人のこれまでの困難を忘れさせるほどで、3人の心には幸福感だけが残った。

 地上に降りると、パリオー氏はのこぎりを使って、頂上に登るための階段に使われていた鉄の棒を10mほど切断した。すぐに他の人が登って旗を撤去されないようにするためだった。

 旗を掲げる作業は、1月19日午前2時に完了した。3人は馬車に乗ってフランスの新聞「ル・モンド(Le Monde)」の編集部に直行し、ノートルダム大聖堂の頂上に南ベトナム解放国民戦線の旗が掲げられていることについて知らせた。

 しかし、試練はまだ終わっていなかった。

 大きな広場を通過したときに、一行はパトロール中の警察に遭遇した。「3人とも逮捕されるかと思いました」とパリオー氏は話す。当時の状況は緊迫しており、フランス当局は抗議活動への参加者を積極的に逮捕していたのだ。

 「バシュラールのことだけが心配でした。私とグラフはただの独身でしたが、バシュラールは公務員で妻もいましたから」とパリオー氏は語る。警察は、スイスのナンバープレートを見ると笑顔でそのまま行くよう3人に合図を送った。こうして3人は危険を逃れた。

 午前4時、ノートルダム大聖堂の近くにいた警察が、尖塔の頂上に旗がはためいているのに気付いてサイレンを鳴らした。しかし、頂上に登るための階段の鉄の棒は切断されており、頂上に近付くことすらできなかった。

 その日の15時になってようやく、政府はヘリコプターを派遣し、空から尖塔の頂上に降り立って、旗を撤去した。

 当時ジャーナリストとしてパリに滞在していた東方発展研究所のチン・クアン・フー所長は、ノートルダム大聖堂の頂上に南ベトナム解放民族戦線の旗がはためいているのを見て、感動したという。

 「私も多くの国のジャーナリストも、カメラを持ってきて写真を撮りました。その瞬間はとても特別で、胸がいっぱいでした。どの英雄がこの旗を掲げたのか、そして彼らがどこからやってきたのか、疑問に思いました」とフー所長は話す。

 この旗は、平和を愛する世界中の人々に対して、戦争に反対するよう訴えるためにはためいていたのだ。

 世論とメディアが騒然とする中、3人は沈黙を保った。パリオー氏によれば、当初3人は身の安全を確保するために事実を秘密にしていた。ベトナムから米軍が撤退し、ベトナムに平和が戻った後も、彼らは「自分たちがしたことそのものに価値はない。重要なことは、当時あの出来事が世に広まったということだ」と考え、あえて声を上げることはしなかった。

 しかし、今から5年前の2019年4月15日、ノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生した。彼らは燃え盛り崩落する尖塔を見て心を動かされ、大聖堂の記憶の一部としてこの出来事を改めて語る必要があると考えた。

 そして3人は共著としてこの出来事の詳細を記した「Le Viet Cong au sommet de Notre - Dame(『ノートルダムの頂上のベトコン』の意)」という本を出版した。

 あれから55年が経ち、ホーチミン市共産党委員会のグエン・バン・ネン書記の招きにより、3人のうちバシュラール氏とパリオー氏の2人は、かつて静かに戦い、支持していたベトナムへの訪問を果たした。

 「数日間滞在して色々なところを訪問し、いまだに戦争の名残が色濃くあることがわかりました」とパリオー氏。このことは、地雷はまだ除去しきれておらず、依然として多くの人が命を落としているという事実、そして枯葉剤がベトナムの人々と自然に与えた影響にも現れている。

 こうした中、彼らは、募金活動や法的支援の模索を通じて、枯葉剤の被害者への公平性を求める新たな戦いに乗り出すことを決めたのだった。 

[VnExpress 06:00 19/11/2024, A]
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