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15歳になり、将来について考えるようになったハイさんは、思い切って家を出て、職業訓練ができる場所を探すことにした。しかし、読み書きができないことや容姿、健康状態などの理由で、ハイさんを受け入れてくれるところは1つもなかった。「2年以上の間、家から出ませんでした。運命すらどうでもよくなり、全て手放したんです」とハイさん。22歳になるまで、ハイさんの世界は小さな家の中だけが全てだった。
2016年、ハイさんはある慈善団体の資金援助を受けてドイツに渡り、癒着していた胸の皮膚と顎の下の皮膚を分離する手術を受けることができた。この手術はハイさんの容姿を変えただけでなく、ハイさんの考え方にも変化をもたらした。
術後21日間に及ぶ昏睡状態から目覚めたハイさんがホームシックで悲しんでいる様子を見て、ドイツ人の医師や看護師はハイさんに故郷の歌を聴かせ、また簡単なベトナム語の挨拶を覚えてハイさんに声をかけて励ました。
また、ハイさんが入院していることを知り、ドイツ在住のベトナム人たちが遠方から病院を見舞いに訪れた。こうしてハイさんは人生で初めて家族以外の人々に囲まれ、温かい誕生日を過ごすことができた。
「皆が皆、あれほど良い人たちばかりではないと思いますが、誰もが僕を差別して除け者にするわけではないのだということがわかりました。入院中、僕より重度の火傷を負って手術を受ける人をたくさん見ましたが、それでも彼らは楽観的でした。外に出ることができる自分は、とても幸運なのだとわかったんです」とハイさんは打ち明けた。
ハイさんはベトナムに戻ってから、社会福祉法人であるKOTOがハノイ市で運営する、調理師になるための職業訓練センターに入学の申請をし、10歳のころからの夢を叶える決心をした。
職業訓練センターのクラスメイトの1人であるグエン・ティ・フオンさん(女性・24歳)は当時をこう振り返る。「ハイさんはクラスの中でも特に目立つ容姿でした。さらに彼は読み書きができなかったので、クラスでスタートが一番遅れていました。調理師になるための勉強をしながら、休憩時間と夜は文字を書く練習をして、他の人の10倍は努力していました」。
職業訓練センターの最初の授業では、クラスメイトが2ページ分のノートを書き写す間に、ハイさんは簡単な文字で2行分しか書くことができなかった。それから毎晩深夜2時まで書き取りの練習をし、おかげで約2か月後にはすらすらと文字を書くことができるようになった。