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果肉が白いドラゴンフルーツを使うと、ごま入りのライスペーパーのような見た目になる。一方、果肉が赤いドラゴンフルーツを使うと、目をひくピンク色のライスペーパーになる。
スイカを使った場合、厳密にはライスペーパーもブンもフォーもオレンジ色になるが、トアンさんによればこれは加工中の熱の影響によるもので、風味と質はそのまま変わらないという。
クチ郡のライスペーパー村でレ・ズイ・トアンといえば、誰もが知る存在だ。トアンさんは4年近く米国に留学していたが、「故郷のライスペーパーを世界へ」と夢見て、家業のライスペーパー作りを継ぐために帰国することを選んだ。
「かつては自分が家業を継ぐことになるなんて考えてもいませんでした。以前、私の家族は手作業でライスペーパーを作り、日に当てて乾かしていました。両親はとても大変そうで、日が差せば外で乾かし雨が降れば急いで中に入れ、それでも1日にたくさん作ることはできませんでした」。
「留学中にアジアのスーパーマーケットに行くと、ライスペーパーや乾麺のブンが売られていたのですが、どれも違う国で生産されたものでした。それで、自分の故郷でもライスペーパーを作っているのになぜ他国に輸出しないのだろうと考え、故郷に帰りたいという衝動に駆られたんです」とトアンさんは振り返る。
そんな感情の中でも、トアンさんはかつて精米の臭いが大嫌いだったことを思い出した。なぜならいつも両親の手伝いでライスペーパーを作るために手で米を挽かなければならなかったからだ。
でも、今ではそれも中毒のように好きになった。「感謝すらしています。以前は毎朝拷問のようでしたが、遠く離れて初めて精米に恩を感じました。ライスペーパーのおかげで両親は私を育て、留学までさせてくれたんですから。それに、外に出たからこそ故郷の商品の可能性と発展のチャンスを見出すことができました」と打ち明けた。
こうして、トアンさんは世帯で営む小規模かつ手作業のライスペーパー工場を、200人以上の従業員を抱え42か国に製品を輸出する企業に育て上げた。