© copyright Mayfair Pictures. |
―――やはり海外に出られて気付いたということですよね。
はい。外に出てそれに気が付いたということもあるのですが、同時に、これは私の家族だけの話ではないということにも気が付きました。多くの人が、映画を観た後に「実は私の祖母が第三夫人だったんです」とか、「母親が家族の決めたお見合いで強制的に結婚させられたんです」っていう話をしてくれるんです。この映画で70以上の映画祭をまわったのですが、上映後に質疑応答をすると必ず観客の中の女性が似たような話をしてくれて。「まるで自分の家族を見ているようでした」と言ってくれる人が多かったんです。
―――もう1つ、映画ではベトナムの風景や文化がものすごく美しく描かれているのですが、これも監督が外へ出られて見直した、気付いたことであり、誇らしい文化として描きたかったことの1つなのではないでしょうか。
そうですね。私は自分の国を非常に誇りに思っていますし、特にこの風景に恋をしているんです。ベトナム北部は私の祖父母の故郷なのですが、とても美しく、恋に落ちたように思っている一方で、自分がアーティストとしてベトナムという国に対するときに、複雑な部分もあります。
ベトナム文化は愛しているのですが、ベトナムにおける女性の扱われ方に対する伝統は女性に不公平だったので、私はそれは好きではないんです。私の作品にはベトナムにおける女性の扱いについて取り上げているものが多いのですが、その中で、文化は愛しているんだけれども女性あるいはベトナム人が扱われてきた歴史というものは嫌っている、という緊張感があります。
―――先ほどキャスティングのお話がありましたが、もともと主役のチャー・ミーさんは別の役にあてられていたとうかがいました。そうした中で、900人の中から彼女を主役に抜擢した一番の決め手は何だったのでしょうか。
そうさせられたんです(笑い)!オーディションするときに、こういう役なんですよ、これだけ大変なことをするんですよということを本人と家族に説明したんですね。家に帰った後、彼女がお母さんに「私、この役をやりたい」と言ったそうなんです。というのは後でお母さんから聞いたのですが。お母さんが「これはとっても大変なのよ。山に何か月も閉じこもって、ものすごくたくさんお仕事をしないといけないし、あなたこんなことやったことがないでしょう」と言ったら、彼女が机を叩いて、「何で信用してくれないの!」と。「この役は私のためにあるのよ!」というようなことを言って、私に電話をくれたんですね。
私に電話をくれて、「この役は私のためにあります。私がやりたいです」と言ったんです。13歳の女の子がそれほどの勇気と強さを持って、自分が信じているものに立ち向かうことができる。これ以上の子は見つからないなと思って、彼女にしました。
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―――トラン・アン・ユン監督が美術監修ということですが、どのようなコラボだったのでしょうか。
撮影の3年前に、ベトナムの若い映画監督向けのワークショップ(オータム・ミーティング=Gap Go Mua Thu)で出会いました。なので、彼とは師弟関係にあったのですが、「実は今、自分の家族の話で脚本を書こうと思っていて…」とこの映画の話をしたんです。彼とはいろいろな話し合いをし、そのプロセスの中でとても大切なことを彼から教わりました。「この映画という媒体に対して、自分が一番真実だと思うものは何か、美しいと思うものは何か、ということを常に自分に問い続けなさい」と言われたんです。
それはつまり、自分にとってシネマとは何かを問い続けろ、ということだと思うのですが、イメージをつなげていって何を伝えたいのか、ということを言われ、私の目が開かれました。哲学的な挑戦を受けたような気がするのですが、監督としてどのような決断をするときにも、何が真実なのか、何が美なのかということを常に考えなければいけない。それがあらゆる決断の核にある、ということを教わったんですね。まだ私はそれに対する答えを持ち合わせていませんが、何十年かしたら、監督として決断するときの炎が強くなって、すぐに真実や美に至るものを選べるようになっているといいのですが。