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1973年、ボカサ大統領は、後にボカサ治安部隊を率いる長となったフィデル・オブロウと小さなマルティーヌを、医師のジャン=ブルーノ・デヴェボードと大きなマルティーヌを結婚させた。
1976年、ボカサ大統領は自分のことを皇帝と宣言し、2人のマルティーヌは自動的に王女となった。しかし、ここから2人のマルティーヌの人生は大きく変わっていくこととなる。
ボカサ皇帝の独裁に周囲の人々は不満を募らせ、小さなマルティーヌの夫オブロウと補佐官らがボカサ皇帝の暗殺を企てるも失敗し処刑されたのだ。夫の死から数時間後、小さなマルティーヌは男の子を出産した。しかしボカサ皇帝は娘婿への仕打ちとして生まれたばかりの赤ちゃんと小さなマルティーヌをデヴェボード医師の病院へ送り込み、赤ちゃんに毒薬を注入させて死に追いやった。
赤ちゃんの死後もボカサ皇帝は小さなマルティーヌを皇室の一員とみなし、1年後には小さなマルティーヌをベトナムへ一時帰国させることを発表した。ところが小さなマルティーヌは空港へ向かう途中で姿を消し、何者かによって暗殺されたとみられている。
1979年にはクーデターによりボカサ政権が崩壊。ボカサ皇帝は大きなマルティーヌを始めとする子供たちとフランスに亡命した。その後帰国し隠居生活を送っていたが、1996年に死去した。
大きなマルティーヌの長男であるジャン=バルテロミー・ボカサは現在もパリに住んでおり、2014年には家族に関するインタビューに答えている。それによると、大きなマルティーヌはフランスでベトナム料理店を2店舗と、母方の祖母と宝石店や日用品店を経営しているという。