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ところが2007年10月のある朝、近所の女性がチャンさんに小声で尋ねた。「あんた、ツーズー産婦人科病院で女の子を生んだんだったよね?その子、まだ生きてるよ」。警察が書類を持って村の人民委員会へ来て、チャンさん夫妻を探し回っていたとのことだった。しかし、まさか夫妻が子供を捨てたなどあり得ないと警察の話を信じなかった人民委員会の幹部は、警察にチャンさん夫妻の住所を明かさなかったという。
チャンさんはすぐに人民委員会へ行き書類を確認すると、書面に記載された生年月日は確かに娘と一致し、愛娘の写真が貼られていた。「本当にあの子だわ、私の子」とチャンさんは泣き崩れた。
チャンさん夫妻が情報を基に児童養護施設へ行くと、ビーさんはフランスへ渡る準備中であると知らされた。始めは何としてでも娘を連れて帰りたいと考えていた夫妻だったが、連れて帰って十分な治療を受けさせることができず亡くなってしまうより、フランスで生きて欲しいと願うようになった。ビーさんとは2、3度連絡が取れたたものの、その後は音信不通となり、良い家族に育てられていることを信じるしかなかった。
2010年に姪が大学受験でホーチミン市へ行くのを機に、チャンさんは息子2人を連れて同市へ遊びに行った。試験会場の前を行き交うバイクを眺めながら、前回ホーチミン市へ来た時には娘に会えたけれど、今回は市内のどこへ行ったってもう会うことはできない…とぼんやり考えながら、チャンさんは、通りの向こう側を走るバイクの後部座席に座る外国人の女性を目で追った。運転手と外国人の女性の間にキャンバス地の靴を履いた小さな女の子が座っているのが見えた。
チャンさんがバイクの波をかき分け女の子が乗っているバイクに向かって一歩ずつ近づいて行くと、交通警察が笛を鳴らした。女の子は笛の音に驚き、チャンさんの方を振り向いた。それがビーさんだったのだ。「自分の娘の顔を忘れるはずがありません」とチャンさん。
このチャンスを逃しては一生会えないかもしれないと、チャンさんはクラクションを鳴らし通りを走るバイクや制止する交通警察も振り切り駆けた。やっとの思いでバイクに追いつくと、必死に女の子の脚を掴んだ。「ビー!ビー!私よ、お母さんよ!」
「ホーチミン市に数百万といる人の中でも、神様は母娘を引き裂くことはしませんでした」と、チャンさんは8年前の愛娘との奇跡の再会を振り返る。これが、ベトナム人の母とフランス人の母の初対面でもあった。
それ以降、アニエスさん夫妻は2年に一度ビーさんをベトナムの両親と兄弟の元で1週間過ごさせている。ビーさんを残して先に帰るアニエスさんは、万が一のために必ずビーさんのファイリングされた分厚いカルテを置いていく。
2015年、ベトナムからフランスに帰った2か月後にビーさんの元に生みの父の訃報が届いた。今年ベトナムの故郷を訪れたビーさんがまず初めにしたことは、2人の母とともに行く父のお墓参りだ。ビーさんは亡き父をこう懐かしむ。「私は父と気が合ったんですよ。お互い無口なところが似ていて」。