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時は流れて2007年11月のある日、アニエスさんは1万km離れたフランスからベトナムへ養子縁組に訪れた。当時50歳だったアニエスさんは、ホーチミン市ゴーバップ区にある児童養護施設の庭で遊ぶ、黒い瞳をした4歳の女の子を見た瞬間に養子にするならこの子しかいないと直感した。この少女こそがビーさんなのだ。
ツーズー産婦人科病院によれば、患者のカルテや書類は保管期限の10年を過ぎると破棄されるため、現在ではビーさんの出生に関する情報は残っていないという。しかし、ビーさんは亡くなるどころか、数回の手術を受けて脳から胸にかけてチューブを埋め込んだ状態ながらも元気に生きていたのだ。
ビーさんが養子としてアニエスさん一家に迎えられるまでに1年以上かかった。アニエスさん夫妻はビーさんの写真や書類から彼女が病気を患っていることは知っていたが、そんなことは構わなかった。
その後7年間に、ビーさんは4回の手術を受けた。「私たちはこの先に何が起こるのだろうかとあまり考えないようにしていました。なるようになる、困難が生じてもみんなで全力を出して乗り越えようとだけ考えていたんです」とアニエスさん。
専門医師によると、水頭症の患者は体内のチューブの詰まりや感染を防ぐために3~4年に一度手術が必要だという。フランスへ渡って数週間後、ビーさんはリール市の病院に入院して古くなったチューブを交換する手術を受けた。ビーさんが顔を左に向けると、首の右側に1本の筋が浮き出るのが分かる。
「みんな首の筋を見ると血管だと勘違いするんです。チューブだと分かると誰もが驚くんですよ」。そう言ってビーさんは洋服をめくりあげて、腹部にある4つの術痕を見せる。それぞれ2008年、2010年、2013年、そして2014年に手術した時の痕だ。