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初めてのフライトは、去る7月21日、バンコク~ハノイ間の便だった。天気予報によるとハノイ市の天候は良好とのことだったが、機体がハノイ市ノイバイ国際空港に戻ると滑走路の見通しは良かったものの、豪雨で天候が悪かった。しかし管制塔からは注意喚起の指示しか出ていなかったので、最終判断は彼が下さなければならなかった。
「私は、着陸せずに『ゴーアラウンド』という決断をしました。当時、機体の高度は60mほどでしたが、再度上昇して天候が良くなるのを待ってから着陸しました。客室乗務員からは、乗客たちが心配して安全のしおりを読み返していたという話も聞きました。滑走路に着陸した瞬間には客席から拍手が起こり、子どもたちは歓声をあげていたそうです」と彼はその忘れ難い出来事を語った。
現在は1か月に最大100時間飛行し、ハノイ市とホーチミン市を平均して約50回行き来している。また、生活の便のため、ホーチミン市に住まいを移したという。
24歳にして機長になることができた秘訣について、彼は「自信と訓練に没頭すること」を挙げた。専門知識のみならず、英語やコミュニケーションスキルなど、ソフト面の部分も勉強しなければならいといけない。平常心や規律については、副操縦士の頃に、パイロットの先輩でもある父親から学んでいた。
「こうして子供の頃からの夢がかなったのです。早朝にホーチミン市のタンソンニャット国際空港を離陸し、家々や河川の上空を上昇していく時の感覚は格別です。自分の選択を後悔したことは一度もありません」。ベトナム最年少機長はそう語った。