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紅河デルタ地方タイビン省クインフ郡アンビン村在住の男性ブイ・バン・ハオは1960年生まれ。生まれたときはほかの子供と変わらなかったが、10歳の時から体に痛みを覚えるようになった。13歳になると痛みは日増しに激しくなり、自分の足で立つことができなくなった。病院の医師はハオを多発性関節炎と診断した。注射を打つと、ハオは自分で歩けるようになった。「子供だったけれど、自分はいつ死ぬか分からないと思った。この病気は発病してから長くても7年ぐらいしか生きられないと言われていた」。彼は当時を振り返ってこう語った。
18歳になったとき、彼は死を免れたものの両足がまったく使えなくなった。ひどく落ち込んだという。「友人らは学校に通うことができるのに、成績なら引けをとらない自分はベッドに寝ていなければならない。悲しみのあまり自殺も考えた」。しかし時の経過は悲しみを徐々に和らげ、彼はベッドで本を読むのを楽しみにするようになった。その後の約30年間、彼は本を読んでは、竹でつまようじを作る生活を続けてきた。
ハオはある日車いすで近所を散策していたとき、竹で作ったトンボのおもちゃを紹介しているテレビ番組を見た。自分でも作れるのではないかと思い興味を持ったが、作り方を教えてもらうにも連絡先さえ分からなかった。しかし昨年6月、身体障害者向けにトンボのおもちゃを作る教室が町で開かれると教えてもらった。ハオは急いで連絡し、教室の開講に間に合った。
教室は2か月間開かれるが、始めの数日を過ぎた時点で参加者から、「あなたの体では無理じゃないか」と言われてしまった。ハオは「自分は役立たずなのか。身体障害を持つ同じ境遇なのだから励まし合うべきじゃないのか」と感じたという。教室主催者の非政府団体(NGO)の取り成しで、ハオは勉強を続けることができたが、家から教室に通うのが大変で7日間参加するのがやっとだった。しかし彼が作ったトンボのおもちゃはNGOの定めた基準に達するものだった。
トンボのおもちゃは日本のNGOが買い取って販売している。ハオは毎月30万~40万ドン(約1200~1600円)を工賃として受け取っている。自分の作ったトンボが日本のあちこちで舞っているのを想像するのは楽しいし、自分が役に立っていると感じることができてうれしいと語った。ハオは取材の間中、自分の今があるのは、結婚をあきらめて自分の世話を見続けてくれている1歳上の姉のおかげだと何度も繰り返した。