(C) tuoitre 写真の拡大. |
ベトナム平和委員会、国連ベトナム事務所、在ベトナム・イスラエル大使館、在ベトナム・ドイツ大使館は29日、ホロコーストの犠牲者を追悼する式典をハノイ市で開いた。
式典では、ベトナムを初めて訪れたという、ホロコーストの生存者であるベター・エッペルさん(女性・88歳)が、自身の歴史を語った。
エッペルさんは、南フランスのキリスト教の家庭にかくまわれ、1942~1945年のナチスドイツの弾圧を生き延びた。
「家族はポーランド出身で、私たちはフランスで生活していました。結婚する前の私の姓はLewkowitzでした。私が5歳の時にナチスドイツがフランスを侵攻し、私たち家族は毎日、祈りをささげていました」とエッペルさんは幼少期を思い出す。
エッペルさんは当時、両親と2人の弟と生活していた。1940年6月にフランスは降伏、フランスの国土の半分が、ドイツに占領された。
1942年9月のある日、エッペルさんの父親が帰宅するなり、エッペルさんを家の片隅に連れて行き、こう言った。「今日からお前は新しい名前になった。名字はLewkowitzじゃない。誰かに何か聞かれても、ユダヤ人ではないと答えなさい」。
エッペルさんと5歳の弟はその後、夜中に少しのパンと水を持たされて、国境近くの場所へと連れて行かれた。腹を空かせ、寒さのなか、長い道のりを行き、彼らはフランス南部の農場で、ある夫婦のもとで生活することになる。
ここでエッペルさんは、キリスト教の学校で学び、キリスト教の教会に通うようになるが、自分がユダヤ人であることを忘れたことは、ただの一度もなかったという。
当時7歳だった彼女はその頃から、母親と一番下の弟との連絡はできなくなった。その2人がアウシュビッツで亡くなったことを知ったのは、それから20年あまり後のことだった。
その後エッペルさんはイスラエルに戻り結婚、子供をもうけた。エッペルさんの父親も戦争を生き延び、再婚した。
エッペルさんは、自分をかくまい、養ってくれた両親への恩は忘れないという。「育ての両親には叙勲の話もあったようですが、辞退されました。『私を養えたことが、ご褒美のようなものだ』と言っていました」とエッペルさんは話した。