こんにちは!
おそと呑み研究所所長の加藤です。
私はおそと呑みごはんが好き。自分が飲むのも好きだけど、日常的におそと呑みやおそとごはんを食べてる人を見るのも好き。ベトナムから帰ってきて、日本が窮屈だと思ったのがここ。
ベトナムではとにかく毎日、おそと呑み&ごはんをしている風景を朝から見かける。朝、子どもを幼稚園に連れていく途中にバイクを止めて、フォーや朝ご飯を路上で食べてる風景を歩きながら見てると、生CMを見てる感じで家族が欲しくなる。(実際、子どもが生まれて半年でおそと朝ご飯を即実行)
昼ご飯は、路地裏や集合住宅の通り道に、大量の屋台が並び、地面に宇宙一近い椅子とテーブルで、大地とホコリとぬるい風を感じながら、仲間と食べる。暑くて、油がすごい攻撃的、でもそれもなぜか溶け合い、街の色気に変化。食べ終わると、フルーツが安くて美味しいので、路上にフルーツを広げて販売してるおばあちゃんに好きな果実を指さしながら、カットしてもらい、つまようじでつつき、ゆっくりオフィスに戻る。ベトナムは四季がなく二季(雨季と乾季)だから、なんか趣がないよね!とほざいてる暇がない位、ランチで街から感受性を育むレッスンを受ける。
夕方から夜がおそと呑みごはんの真骨頂。ベトナムの仕事終わりは17時半が基本。そこからの一時間、昼か夜かどっち?タイムが一日の街のメインイベント。
今日一日離れていた家族にようやく会える!家族に会ったら何しよう?ご飯は外で何食べよかな?そのあと一緒に買い物にでかけよう!という10時間コトコト寝かせた家族を想うエネルギーが、街をクラクションと一緒に包み込む。
「そーよ、幸せは、とどのつまりこれこれ!」と叫びたくなる。
その勢いが一番強烈なのが家族でご飯を食べるおそと呑みごはんの屋台やレストラン。家族にこれから再会する喜びと再会できた喜び、そこにゆーっくり幕が下りて、今日の第二幕が上がる様な赤い夕焼け。それがだんだん想いの分量と共に暗くなりながら、家族揃ってのおそと呑みごはんがスタートする瞬間、すべてが溶け合い一つになる感覚がたまらない。
加えて友達同士の家族で一緒にご飯を食べると×3倍の喜びで、栄養ドリンクいらずで明日へのパワーチャージ完了。両家族同士が全く盛り上がってなくても、「大好きな友達が大好きな家族と一緒にご飯食べるのを見るだけでうれしいし幸せになる!」というベトナム人の感性がフルスロットル。日本人なら、「そんな関係じゃまだないし、仕事帰りに盛り上がらなかったら面倒だし」などと、先回り上手になってる自分を突き付けられて、痛心地よし。
日本で疲れてる人に動画で撮って見せたい!「日本人は頭いいからまじめに考えすぎだよ!」と若者まっすぐ上から発言をつまみに、ビアぐいぐい飲みも結局一度も実行せず。あの時の自己酔っ払い加減と、そんな疲れてるに人に帰国後ちゃんとなってる、自分の変化にさえ花束を。(あの動画を見たら、逆に今踏ん張れなかったかも)
日本でもゼロじゃないのは、半年で学んだ最高の学び。日本では、週末の公園や河川敷、イベントなどでかわいいテントを張って、おそと呑みごはんが繰り広げられている。
そこには、僕が望んでいた家族との風景や、喜びのエネルギーを確かに感じる。ちょっと控えめでシャイな日本人家族はゴザやブルーシートから、より個室感のあるテントを手に入れて、ファミリー感を取り戻したんだと。お父さんの心の叫び、「日本でも実は結構求められてるんだ!」という気概も。
私が子どもの時のテントは完全に山登りや非日常だった。せいぜい年に数回。それが今や週末というマックス年96回行けちゃう位までに。日常と非日常の間には来てる。昔の日本にも絶対あった風景なはずだし、それを新しい形で取り戻し始めてる。こんなに急速にマーケットが右肩上がりな業界は、この成熟しきった日本社会にあるでしょうか?
今の日本に必要な、おひとり様問題、少子高齢化、シニア活用、社会のセーフティネット問題は、結局全部名前が違うだけ、ゼロファミリー感、とどのつまり、大地と家族につながるおそと呑みごはんにつながっている。
今の日本でやるべきことは、平日におとそ呑みごはんを取り戻すこと。
消防法も衛生法ももちろんいつもはありがとう。ただそれを週一日だけ閉店してもらう。全部取っ払って、駅前やオフィス街で屋台出せる、テント張れる、路地裏で机と椅子持ってきて宴会できる、街をキャンプ場や公園、河川敷にする。そこで起きるエネルギーはきっと今の日本人の幸せ度数の改善にももちろん影響するし、毎日の労働意欲も上がる。
ベトナムは新興国でモノがないから元気!は半分正解。
身近におそと呑みごはんがない国のGDPが上がるはずがない。