「赤ちゃん」というイメージを根底から覆す研究が次々と進んでいます。脳科学、心理学、神経科学、発達学、赤ちゃん学など、最近は生まれて間もないヨチヨチ歩きの頃の赤ちゃんが一番学習能力があるのではないかと言われ始めています。
日本の保育園はこれまで、まだ自分では何もできない赤ちゃんを「養護する」という面しか捉えていませんでした。赤ちゃんも次第に首を回せるようになり、姿勢を変えたり、前に後ろに動き始めると、自ら周りにあるものに手を伸ばし、近づいていきます。日の光がゆらゆら揺れれば、そちらに目を移し追いかけ、雨の音が聞こえれば、聞き入る仕草を見せます。彼らにとって未知の世界の不思議さに導かれるように色々なものに興味を示します。興味のあるものに没頭し、何度でも繰り返し、試そうとする赤ちゃんの姿は、まさに小さな科学者を連想させます。
赤ちゃんが自らやろうとすることが、かなり多いことに気づかされます。子どもにとって「遊び」は学習ですが、乳児は自ら遊べないから「保護者、保育者が遊びを提供する」といった捉え方も多くありました。抵抗力が弱く、幼い存在、何もできない赤ちゃんを守るという感覚でしょうか。ところが生まれた時から生きるための学習はすでに始まっているのです。肺呼吸をし、おっぱいを飲み、眠り、泣き、目が見えるようになれば人や物を目で追う、相手をして欲しい人を見分けるなど、赤ちゃんはすでに生きようとする力を備えているのです。ひたすら守る存在ではなく、赤ちゃんも一人の人間として生きていくための力を伸ばしてあげられるような関わり方が求められます。
関わってくれる人、つまりその成長過程において重要になるのが、いつもそばにいてくれる身近な人の存在です。赤ちゃんが今何を求め、何をしたいのか、どうありたいのか。丁寧に赤ちゃんの気持ちを汲み取りながら関わっていくことがこの時期の関わり方として大事なポイントです。やがて成長して、「自分は生まれてきて良かった」「ここに居ていい存在」と感じられることが生きる力の土台です。
居心地の良い場所、自分を愛してくれる人が近くにいるという理解がその気持ちを育てます。傍で、遠すぎず、近すぎず、自立の方向へと手を差し伸べてくれる人がいることで、喜びや嬉しさは増大します。発見、驚きを表現した時に、一緒に共感してくれる人の存在は欠かせません。それは親であり、保育者であり、いつも出会う近所のおばさんかもしれません。やがてそれは友人となり、自分の伴侶になっていくのでしょう。相手の存在を受け入れるということは、赤ちゃんの時代から基盤が作られているのです。
生まれた時から私たち人間は自分で生きようとしていることに、人間の力の神秘性を感じます。身近にいる人の存在を意識していることに感動します。
これから先の時代、人工知能がさらに発展していく中を生きていく今の子どもたちです。私たち大人は子どもたちに、「人間らしく成長する」ことを願いながら、具体的にどのように関わっていったら良いのでしょうか。教育に携わる自分としては、非常に深刻な課題です。
次回は、子どもの未来を考えて、今どんな力をつけたら良いのかを考えます。
<参考・引用文献>
無藤隆(2018)『幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿』東洋館出版.