しかし、ゴックさんのタトゥーアーティストとしての道は、決して平坦ではなかった。10年前にゴックさんがこの道を志したころはまだ、多くの人々、特に高齢者から共感を得ることはできなかった。タトゥーもタトゥーアーティストも、社会からは「罪悪の芸術」として閉ざされた存在だった。
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「私を疑ってかかる人にとって、時間が最も明確な答えになるでしょう。時間の流れの中で、すべての物事が変わっていきます。今日は期待通りにいかなくても、明日はわかりませんから」とゴックさんは打ち明けた。
ゴックさんは、価値を生み出し、誰にも悪影響を与えることなく、法律に反さず、信念を持って粘り強くこの仕事に取り組んできた。あきらめる理由などなかった。
ゴックさんの両親は娘を支え、応援した。父親は「自分が幸せでいられることをしなさい」と言い、母親は「若者の経験」を後押しした。
当時19歳のゴックさんは、タイトなスケジュールの中で学業と仕事を両立させた。午前は授業に出て、午後と夜はタトゥーに没頭した。当時は常に睡眠不足で、「いつでもどこでも寝られましたね」と笑う。
そして、彼女は大学を首席で卒業し、タトゥーアーティストに対する偏見を多少取り除くことができた。
一般的なタトゥーから、ゴックさんはあるきっかけで徐々に傷跡を覆うタトゥーの施術に移行していった。
忘れられないきっかけは、あるメールを受け取ったことだった。メールの送り主の女性の希望は、傷跡をタトゥーで隠したいということだった。ゴックさんはその女性と会い、最適なタトゥーを入れるために「一緒に頑張りましょう」と伝えた。
施したタトゥーは、腹部の凸面のある傷跡を利用した、羽の絵柄だった。初めて手掛けたカバースカは、実に9時間を要した。麻酔を使わないタトゥーの施術には、客の努力と期待、そしてゴックさん自身の細心の注意にかかっていた。「悪くない出来でしたよ」と、ゴックさんは初めてのカバースカの作品についてコメントした。