孤児院の職員によると、フンは双子で生まれたが、病気を抱えていたため、両親は元気な子だけを育て、フンを孤児院に預けた。両親はその後、何度も孤児院を訪ね、やはり自分たちのもとへと引き取ろうとしたが、適切な医療のケアを受けなければフンは死んでしまう、孤児院に預けて、外国で治療ができるような養子の引き取り手を探した方がいい、そう孤児院側が諭したのだった。
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初対面の日、ホープさんは彼のもとに近づき、話しかけた。「この子の笑顔が心に焼きついて、何とか助けてあげなければと思ったんです」と彼女は言う。
夫妻はフンを養子に迎え、サミュエルと名付けた。米国に帰って2週間後、ホープさんは末娘を生む。4人だった家族に、新しい家族がいっきに3人増えた。生まれたばかりの女の子とサミュエル、そしてエチオピアからやってきた16か月のもう1人の養子だ。
ホープさん夫妻は、サミュエルに栄養を与え、感染症の治療をし、腫瘍の除去手術に耐えられる健康を保てるよう頑張ったが、最初の数か月はやせ細る一方だった。
サミュエルの腫瘍には血管が多数通っていたため、出血して死亡に至るリスクがあった。ホープさん夫妻はサミュエルを大小さまざまな病院に連れて行き、何十人もの医者に会ったが、手術をしてくれる人にはなかなか巡り合えなかった。それでもあきらめずに探し、ようやくある医者が、手術に同意してくれた。
腫瘍の大きさから何回かに分けて手術を行うことになり、顔の手術をすること5回、目の手術をすること2回、ようやくサミュエルは、視力と外見を取り戻した。
ただ困難はそればかりでなかった。サミュエルは発話が遅く、歩くのも、何かを覚えるのも遅かった。夫妻は、サミュエルに理学療法を受けさせ、運動させ、発話の練習をさせ、発達の遅れを治療するための行動療法を受けさせた。だがホープさん夫妻の心にはある時から、こんな思いもよぎり始めた。「もしかしたら彼は生涯、私たちに頼って生きていかなければならないかもしれない」と。