クイさんはその工場でしばらく働き、肌は黒くなり、痩せていった。しかし、収入は依然として不安定なままで、手に職がなければ生活も安定しないのだと気づいたクイさんは、故郷ニンビン省に戻り、障がい者に縫製技術を教えている工場を訪れ、縫製を学び始めた。
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一番大変だったのは、古いミシンを操作する際に足でペダルを踏む必要があり、かなりの力を要したことだった。クイさんは、縫製を学んでいた6か月間で、両脚を使ってミシンを操作するのに慣れなければならなかった。クイさんは初めて自分で縫製したシャツを、今でも大事にしまっている。
「両親は今でも、外に出ても何もできないのだから家にいなさいと言います。でも、両親が元気なうちは面倒を見てもらえるけれど、この先2人が年老いていったら、誰が私の世話をしてくれるんだろう?とふと考えました。当時はあえて答えを出そうとしませんでしたし、どうすればお金が稼げるのかもわかりませんでしたが、とにかく思い切って飛び込んでみることにしたんです」とクイさんは当時を思い出して語った。
縫製の技術を身につけたクイさんは、履歴書を手に自信を持って再び仕事を探しに行った。しかし、障がい者であるクイさんには健康上の心配があるという理由で、訪れた数十社で首を横に振られるだけだった。
それでも幸いなことに、クイさんの状況を知っていた1人の作業監督者が、クイさんの縫製技術を試す機会を設けてくれた。クイさんがミシンを巧みに操る様子を見て、韓国人の社長はクイさんを雇用することに同意した。
その会社で2年間働き、縫製技術を上げたクイさんはさらに努力を重ね、より大きな規模の様々な環境で働いて技術と経験を蓄積していった。10年間にわたる懸命な努力の末、現在のクイさんは、縫製に関しては何でもできると自信を持っている。
長い求職活動の間に、クイさんは多くの障がい者が直面している困難について理解していった。「この人がどうやって働けるんだ?」、「これを見て雇えるか?」といった心の傷に触れる言葉を聞き続けるうちに、クイさんは同じ境遇にある人たちを支援するために何かしなければと考えるようになった。