2017年、アイン・トゥーさんはホーチミン市のピアノコンクールに出場し、ベトナム、韓国、マレーシアからの出場者188人の中で2位を受賞し、視覚障害者として初めてホーチミン市音楽院に入学できることになった。
(C) vnexpress |
(C) vnexpress |
(C) vnexpress |
アイン・トゥーさんにピアノを教えるグエン・トゥイ・イエンさんはこう語る。「アイン・トゥーさんの今日までの結果は、母親のホンさんのサポートなしには成し得ませんでした。ピアノ学科が開催したマスタークラスのセミナーを今でも思い出します。ホンさんはいつもアイン・トゥーさんに同行し、アイン・トゥーさんは一度も欠席しませんでした。熱心に耳を傾けるアイン・トゥーさんの表情と幸せそうなホンさんの顔は、私を含め、周りの人たちをも幸せな、そしてポジティブな気持ちにさせてくれました」。
ピアノ学科の4年間の最終学年で学んでいるアイン・トゥーさんは、多くの場所でピアノを演奏している。ステージ上でピアノの美しい音色を響かせるのと同時に、母校のグエンディンチエウ特別学校でピアノを教えるボランティアにも参加している。
「私の夢はピアノの先生になることです。後継者として、私が学んできたことを共有し、伝えていくことができたらとても嬉しいです」とアイン・トゥーさんは語る。
アイン・トゥーさんがステージに上がる前、ホンさんはいつも娘に化粧をし、髪を編み、華やかな衣装を選んであげている。ステージに上がると、ほとんどの観客はアイン・トゥーさんが視覚障害者であることに気づかず、挨拶をする際に他の人にサポートしてもらうのを見て初めて知る。
「2020年の半ば、娘はある女の子にピアノのレッスンをすることになり、初めてのお給料で家族の皆にプレゼントを買ってくれました。どれも素晴らしい贈り物でした」とホンさん。
しかしホンさんは、アイン・トゥーさんの母親としての責任は果たせていると感じているものの、妻として、また嫁としての責任は果たせていないと感じており、夫や夫の家族に対して申し訳ない気持ちを常に抱えている。
「去年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で、ようやく私と娘でひと月以上、田舎に戻ることができました。ぼろぼろの家と皺の寄った夫の作業着を見て、彼に申し訳なく思いました。12年間も夫と妻子が別々に暮らしている、この状況を早く終わらせたいと願っていますが、いつになったら叶うのかはわかりません」とホンさんは涙目で語り、ため息をついた。