支援を受ける子供たちは、毎月40万~50万VND(約1800~2300円)程度の学費を受け取り、さらに毎日ズンさんから健康や学校の状況を尋ねる電話をもらっている。高学年の子供たちに対しては、ズンさん自ら時々自宅を訪問し、まるで出張から帰った母親のように宿題を確認し、しっかり勉強するように励ましている。
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カットボン基金が支援する子供たちの数は日に日に増えていったが、最初の2年間はズンさんが1人で山のような仕事を抱えていた。当時のズンさんは別の会社で人事部長を務めていたため、日中は会社の仕事で忙しく、夜になってから子供たちに状況を尋ねる電話をかけ、その後にまた他の問い合わせの電話を受けていた。
毎日朝6時から夜遅くまで働き、深夜1~2時まで仕事をすることも多かった。49kgあった彼女の体重は43kgまで落ち、疲労から何度か気を失うこともあった。そしてついに、負荷を減らさなければ健康状態の回復は難しい、と医師から警告された。
2015年7月、ズンさんは当時抱えていた人事部長の仕事とカットボン基金の仕事のうち、どちらか1つを辞めることにした。夫にそのことを打ち明けると、「よく考えろ、衝動的になるんじゃない。ボランティアの仕事は君が思うほど簡単ではないぞ」とだけ言われた。
基金の費用の大部分はズンさんのポケットマネーから捻出していたため、もし自分が仕事を辞めてしまったら今後の費用をどうするのかという懸念があった。「でも、もし基金の仕事を辞めたら、子供たちはどうなってしまうの?」ズンさんは何日も考え、子供たちの未来は自分の手に託されているのだという信念のもと、カットボン基金を選んだ。
「人事部長が孤児の世話をするために退職する」という情報は、ズンさんの友人たちの間ですぐに広まった。親友たちは彼女が普通の状態ではないと感じ、会社を辞めるべきではないと忠告した。「皆に私のことをすぐに信用してもらおうとは思っていませんでした。すべての『種子』には粘り強い世話と養育が必要ですから。皆が結果を目にすることができるようになるまで、十分に時間をかけて待つ必要がありました」とズンさんは当時の心情を語った。
退職後、ズンさんは自分と一緒に愛情が不足してきた子供たちの世話をするボランティアスタッフを募集した。現在までに70人のスタッフが集まり、全員が自発的に活動に参加し、300人近い子供たちに寄り添ってきた。
ハノイ市在住のダオ・レ・マイ・フオンさんは、カットボン基金の設立当初からのメンバーだ。「ズンさんは痩せっぽちですが、体力がないなんて思ってはいけませんよ。彼女はいつでも愛情のエネルギーに満ち溢れているんですから」とフオンさん。