そのときサミーさんはふと、若いころにチョコレート作りの夜間コースに参加していたことを思い出した。「私はこれまでたくさんの機械に触れてきたので、今度は何か違う経験をしてみたいと思っていました。チョコレート作りのコースを終えて、チョコレートを作ることができるようになりましたが、そのときはそれまででした」。縁を感じ、サミーさんはチョコレートこそ母親の故郷であるベトナムへの恩返しになると考えた。
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ベトナムではチョコレートを製造する機械が販売されていなかったため、サミーさんの最初の仕事は自分の知識を利用して機械を作ることだった。もともと機械技術者だったことから、カカオの実の皮を剥いたり、実を砕いたりするための機械の設計図を描き始めた。
それから3D図面を作成すると、実際に作ってもらうために地元の機械工を訪ねてまわった。しかし、多くの機械工が無理だと断ったり、サミーさんの要求に沿って作ることができなかったりして、機械が完成するまでに2年近くを要した。「当時、私は機械工と寝食を共にし、私の思う通りの機械ができるよう、製作を監督し指導していました」。
工場は広さ200m2ほどで、10人近くの工員が働いていた。機械はカカオペーストと牛乳やカカオバターなどの他の原料を粉砕して混ぜ合わせる役目がある。「この工程で、完成したチョコレートの良し悪しが決まります。少なくとも、チョコレートを口に入れたときに少しもかたまりが残らず、溶けなければなりません」とサミーさん。
粉砕機は一部に石を使っており、これを作るために北部紅河デルタ地方ニンビン省で石工を見つけ、同意を得るまでに1年近くかかった。「熟練した石工は美しい製品を作ることができますが、機械の細部に合わせて石を加工できる石工はほとんどいません」とサミーさんは説明した。
しかし、初めて機械に材料を入れてみると、モーターの回転速度が速すぎてカカオがすべて外に飛び散ってしまった。そのため、サミーさんは自ら工具を使って調整しなければならなかった。
近所に住むグエン・ティ・ミー・ズンさんは、当時を振り返り、「サミーさんが機械に向き合いながら、ハンマーを強く叩いて『なぜだ、なぜだ』とぼやいていたこともあります。そしてハンマーを庭に投げて大声で叫んでいましたよ」と語る。
「いつまでたっても機械の不調の原因がわからずいらいらしていたときのことですね。でもそれは一時だけで、切られたカカオの木のことを思い出し、また機械の修理に戻りました」と、かつてボーイング(Boeing)の航空機向けの部品工場で工場長をしていたこともあるサミーさんは語った。