レ・タン・トンが1662年に死去すると、息子のズイ・ブーが後を継ぎ、皇帝レ・フエン・トン(Le Huyen Tong=黎玄宗、在位:1663~1671年)となったが、レ・フエン・トンも若くして病死。レ・タン・トンの別の息子のスイ・ホイが、皇帝レ・ザー・トン(Le Gia Tong=黎嘉宗、在位1672~1675年)になるが、またも病死。レ・タン・トンの末子のズイ・ホップが、後を継ぎ皇帝レ・ヒー・トン(Le Hy Tong=黎熙宗、在位:1675~1705年)となった。
(C)VnExpress、レ・タン・トン像 |
歴史研究者によると、ベトナムの15ある王朝の皇帝108人のうち、皇帝の座に2度就いたのはレ・タン・トンのみで、息子4人が皇帝になったのも彼だけだという。記録はこれだけに留まらない。彼はベトナム皇帝として初めて西欧の女性と結婚したほか、多くの少数民族の女性を妻にしたという。
レ・タン・トンは1630年に、実権を握る鄭氏のチン・チャン王の娘で12歳年上のチン・ティ・ゴック・チュックと政略結婚させられた。レ・タン・トンはこの後、4人の少数民族の妻を持ち、さらにオランダ人女性オロナを妻にした。6人の妻らは仲良く暮らしたと伝えられている。
6人は永遠に共に居ることができるよう願いを込めて、北中部地方タインホア省にマットソン寺を建立。6人の入魂された像が同寺に安置された。その後、皇后ゴック・チュックの像はベトナム美術博物館に、残る5人の像はマットソン寺近くにある黎氏の廟堂に移された。