国防省のオフィスで勤務していた1976年、フエン氏はザップ将軍事務所に秘書として配属された。当時、将軍は国防相兼国家科学委員会委員長で、16~17人の補佐官が年中無休で働いていた。もちろん将軍自身も、退役するまで休みを取らなかった。
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フエン氏によると、将軍はいつも部下の進言に耳を傾け、意見を押し付けることはなかったという。「ある時、将軍のやり方に苦言を呈したことがありました。始めは私の意見に反対しましたが、翌日私の肩を叩いて『きのうの君の意見は正しかった』と言ってくれました」
フエン氏は、“伝説の将軍”のエピソードをもう一つ披露してくれた。ベトナムでは“忍”の筆文字を飾るのが好まれていることから、「将軍の家にも“忍”の文字がありますか」と尋ねられたことがあった。「私は彼らに言いました。“忍”の文字はありません。将軍は恥を耐え忍ぶような方ではありません。もし文字があるとすればそれは“心”でしょう」