長女のザンさんは「おそらくニュースを通じて、医学の教育と研究のために必要な遺体が不足していることを知ったのでしょう。父は普段から、もし良く生きたければ死んだ時にも社会に貢献できることがあればそうするべきだと話していました。父は節約家でしたが、村の貧しい家の子供たちや学校に教科書や自転車を寄付していました」と振り返った。
(C) Sai Gon Tiep Thi, Thanh Nha |
その後ティンさんは冠状動脈血栓で倒れ、もし死んだらホーチミン市医科薬科大学に忘れずに連絡し献体するよう言い残して亡くなった。タイさんは「亡くなったら墓をつくることが親孝行だと思っていましたが、父の遺言に従うことこそ子の務めだと考え直しました」と話した。
父の葬儀が終わってしばらくすると、今度は母が自分も献体したいと言い出した。タイさんは母の言う通りにした。やがてタイさんの兄弟たちや親戚、友人や同僚たちまで、献体登録をするようになった。ザンさんは「父が皆の心に種を蒔いたのです。父を誇りに思うのなら、自分もそれにならうべきですから」と語った。
タイさんは最後にこう語った。「報道を通じて、献体登録者が1万5000人近くに上っていることを知りうれしく思っています。父は『多くの人のためになることをする人は、決して孤独ではない』という言葉を残しました。私もそう信じています」