「私はこれまでに十分外国人のために働いてきた。これからは祖国の人々のために尽くしたい」。そう言って、農学博士グエン・クォック・ボン氏は、住み慣れたオーストラリアの家を離れベトナムへの帰路についた。ベトナムに帰って祖国に貢献するという彼の夢は、およそ20年かかってようやく実現した。
1969年、中部フエ市出身のボン青年は夢を抱いて日本へ留学。1977年に農学博士と成り、安定した収入を得ながらタキイ種苗で働いた。しかし、さらに研究を深めるために日本農業研究所に入り、稲の研究で有名な教授の助手を務めた。当時の日本では外国人が政府関連機関で主要ポストに付くことは許されておらず、どんなに貢献しても助手の地位に甘んじるしかなかった。
1980年、ボン博士は一大決心をしてオーストラリアに移住する。彼が到着したのはニューサウスウェールズ州だったが、ちょうど州農業局が農業の研究員(大学卒)を募集しているのを見つける。彼はすぐに応募したが結果は不採用、その理由は「学歴が高過ぎる」ことだった。しかしその1週間後、今度は研究指導員を募集しているのを見つける。さっそく応募すると採用された。彼は「どうやら私のために用意されたポストらしい」と振り返り、「こんないいタイミングで希望の職につけたことは幸運だった」と語る。彼のように専門知識を持っていても、それを生かせる職業につける人は少ないからだ。
オーストラリア経済は農産物、特に小麦・牛肉・羊毛の輸出に頼るところが大きい。野菜の輸出は少ないが、北半球と気候が逆になることを利用して、輸出用のアジア野菜を生産できるのではないか。そう考えたボン博士はこのプロジェクトを政府に提案、1986年から実施され野菜の輸出額も大幅に増加していった。
ニューサウスウェールズ州農業局長は1996年、ボン博士の功績を高く評価する発表を行った。そのおかげで彼は出世し収入も増加した。そんな中でも彼のベトナムへの関心は途切れることはなく、インターネットなどでベトナム農業の状況を気に掛けていた。
この年、オーストラリア政府はベトナムを含む発展途上国のプロジェクトに対する支援を開始、ボン博士はベトナムの安全野菜生産プロジェクトに参加した。オーストラリア政府のこの支援プロジェクトを通して、彼は多くのベトナム人研究者をオーストラリアで研修させ、またオーストラリア人研究者をベトナムへ渡航させて指導にあたらせた。そして、この安全野菜生産プロジェクトこそ、彼の20年来の念願だった祖国への貢献という夢を実現する舞台になった。