グエン・トゥー・フオンは小さいころから暇さえあれば計算問題を解いているような子どもだった。高校では数学科に進学し、その後家族と共にアメリカへ。ティファニー・グエンと呼ばれるようになる。
大学はカリフォルニア大学の応用数学科へ。彼女は卒業後もさらに勉強し続けることを選び、ワシントン州立大学の奨学制度に応募して見事合格。働きながら大学へ通った。その時の就職先はダコタ・ダイレクト社で、電話セールスで保険商品や電話などを販売する会社だった。もともと正直でうそなどつけない性格だった彼女は、まったく売り上げをあげられなかった。仕事を辞めたいが、辞めれば学校も辞めなくてはならないというジレンマに悩んだが、彼女は働き続けることを選ぶ。
そうこうするうちに電話セールスで勝敗を分けるポイントは声の調子だということが分かってきたという。声の調子を通して態度から感情、性格までが伝わってしまうからだ。それ以来彼女は毎日鏡の前で、明るい声で歓迎の気持ちを表現する練習を繰り返した。1日のノルマが3件なら、彼女は4~5件の売り上げを自らに課し、確実にそれをクリアしていった。彼女の努力は予想以上の成果をもたらし、3カ月後には120人もの社員の中でトップセールスの仲間入りを果たした。このとき彼女は「成功するためには変化を恐れず、あきらめないこと」を学んだという。
2校目の大学卒業後、彼女がシリコンバレーにあるシスコ・システム社の品質管理部門に応募したときは、試験の結果があまりに良かったため、会社側が新たなポストを設けたほどだった。6カ月働いたころ、ラショナル・ソフトウエア社から、より好条件でのオファーを受ける。しばらくは楽しんで働いていたが、出張の連続にうんざりし始める。そして彼女はマイクロソフト社の検査プログラムの責任者というポストに応募した。
名の通った会社とはいえ、面接はいたって普通。ただ一つ彼女が印象に残っている質問は、「次の日が試験で、ある本に答えが書いてあることが分かっている。今は夜の10時。さてあなたはどうしますか?」というものだった。友達や先生に借りる、本屋で買う、図書館で借りる、という答えはすべて拒否された。最終的に彼女が出した答えは、「図書館の窓を壊して中に入り、その本を手に入れる」というものだった。そしてそれが合格の決め手となった。何かをどうしても成し遂げたい時は、他の人も考えるようなことではなく、誰もやらないようなことをやらなくてはならないのだ。
マイクロソフト社では給料や住居など非常に良い条件で働いていたが、彼女は夫と共にベトナムへ帰ることを決心する。ベトナムの方がよりチャンスが多いと思ったからだ。初めソフトウエア会社の役員秘書を務め、その後ベトナムワークス社のジョナ・レビー社長に紹介される。紹介の翌日に病院で赤ちゃんを出産、採用通知はベッドの中で受け取った。ベトナムでの生活で大変だったのは、バイクの運転とベトナム語だったという。3年ほど経ってようやく仲間とのコミュニケーションに自信が持てるようになった。
マーケティングや人事の仕事は初めてだったにもかかわらず、彼女は常に高い成果を出し続けた。ベトナムワークス社での4年間、彼女は会社の発展に大きく貢献したと言えるだろう。実際、20人ほどの小さな会社だったのが、今やベトナム最大級の求人求職情報サイトを運営する会社となった。
仕事のやり方や同僚との関係について社長のジョナ・レビー氏から受けた影響は大きいという。それはオープンであることや親しみやすさであり、例えば社内では管理者に対しても職名では呼ばず名前で呼び合うという。また、デスクの配置などにもそれは表れていて、社長でさえ個室ではなく、社員と同じ部屋で仕事をする。「みんなが同じ場所にいるほうがコミュニケーションもとりやすいし、人との距離も生まれにくい」。
管理者としての彼女の考えはこうだ。「社員にこうして欲しいということがあったら、自分が率先してそのようにすること」。人間関係においても彼女はこう考える。「人に常に真心で接していれば、自分も人から真心を受ける。他の人の心をつかむことができるのは、真摯な心だけなのだから」