クア博士と共に生きた日本人女性 中村信子さん(続き)

2007/04/08 08:29 JST配信

(前週の続き)

―クア博士はベトナム農学界の第一人者として1967年に労働英雄賞、1996年にはホーチミン賞を受賞されています。これらの成功の影にはあなたの貢献が大いにあったのではないでしょうか。

 夫が政府や国会からいただいた賞は、本人の努力と同僚の方たちの貢献によるものだと思います。特に夫が能力を存分に発揮できるような環境を、物質面と精神面の両方において整えてくださった指導者の方たちの貢献は計り知れません。私はただ夫が安心して働けるように、家のことや子どもの面倒を見ていただけです。非常に困難な時期に、ベトナム農業の発展に夫が貢献できたことを誇りに思っています。

―50年以上もベトナムで暮らす中で、日本の家族とのつながりはどのように保っていたのですか。

 1972年と1976年に公費で日本に里帰りすることができました。そのころのベトナムはとても厳しい状況にあったにもかかわらず、私や家族のことに関心を持っていただいたことにとても感謝しています。当時はまだ日本とベトナムの間に国交がなかったので、渡航は大変でした。でも今は非常に行き来がしやすくなっているので、毎年里帰りをしています。通信環境も良くなっているので、日本との連絡はとてもとりやすくなりました。

―博士の亡くなった後も、ずっとベトナムに住み続けているのはなぜですか。

 私は家族のために生きたいと思う人間です。55年間ベトナムで暮らし、今となってはもう故郷も同然です。子どもや孫たちの近くで暮らすことができて、とても幸せです。1976年に日本を訪れた時、その時は既に夫は亡くなっていましたが、母が心配して家族全員で日本へ移住してはどうかと勧めました。しかし、夫は生前いつも、ベトナム人はベトナムで暮らし、働き、故郷に貢献しなければならない、と話していました。勉強や研究のために海外に出ても、最終的にはベトナムに戻って故郷を発展させるのだと。子どもたちがベトナムで働き、学校に通っているのに、日本に帰って一体どうなるというのでしょう。日本に帰らないと決めた私の判断は間違っていなかったと思います。私はベトナムでの暮らしにとても幸せを感じています。

―長い間ベトナムを見てこられて、今日のベトナムの変化をどう思われますか。

 ベトナムは急激に変化しています。先日ホーチミン市から北部のラオカイ省まで旅行しましたが、どこに行っても建築中の建物があり、道路の両脇には緑が生い茂り、きれいな家がたち、人々は生き生きと暮らしていました。1955年に初めて北部の農村を訪れた時には、農民たちの貧しさは今からは想像も付かないものでした。だからこそ、彼らがすべてを犠牲にして民族独立のために戦い、国家再建を固く誓ったのだと思います。

―あなたの眼から見て、ベトナムに暮らす日本人と他の外国人との違いはありますか。

 日本にいる友人たちは、私がベトナムに住んでいると聞くと大変驚きます。彼らはベトナムが依然として危険で貧しい国だと思っているのです。そんな時、私は彼らに観光でもいいからベトナムに来てみるよう勧めます。そして一度訪れた人は必ずまた訪れるようになります。彼らは、風景の美しさ、物価の安さ、食べ物のおいしさ、治安の良さ、ベトナム人の礼儀正しさを褒めちぎります。仕事でベトナムに来ている日本人には、駐在期間が終わってもここに留まりたいと思う人が多いようです。現地でベトナム人の夫や妻をもらう人も多いことから、ベトナムは外国人にとって魅力的なのだと思います。政府も外国人を差別しない政策をとり、人々も民族の違いによって特別視することはありません。

―あなたと博士の愛は2国間の友好のしるしですね。両国の若い世代に何かおっしゃりたいことはありますか。

 若い世代の人たちは過去に対する関心が薄いですね。ベトナムにしても日本にしても、若い人たちは戦争のことをあまり知らないようです。中部クアンチ省のみやげ物屋で働いている17歳か18歳ぐらいの女の子に「ここではかつて激しい戦争があったのよね」と尋ねると、「いいえ。ここで戦争があったことなんてないわ!」という答えが返ってきました。私たちが若い世代に戦争のむごさを教えなければ、現在の平和の価値も理解されないでしょう。私は思うのです。今の平和を確固たるものとしたければ、若い世代が自国の歴史について理解することが必要だと。

―どうもありがとうございました。

[2007年3月8日 Thanh Nien紙]
※VIETJOは上記の各ソースを参考に記事を編集・制作しています。
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