今から6年ほど前、ベトナム航空の客室乗務員が巻き込まれた大きな交通事故があった。中でもホアン・ティ・トゥー・ハンは体中に骨折や打撲を負い、誰も彼女が生き延びるとは思えないほどの重傷だった。しかし若くて体力があったのと、家族や友人の支えがあって、彼女は次第に回復していった。その時彼女はまだ、もっと恐ろしいことが待ち受けていることを知らなかった。事故の6カ月前に結婚したばかりの夫が、重傷を負った彼女から逃げるように去ってしまったのだ。
2006年8月、筆者は「ハン−死のふちから生還した客室乗務員」という記事を書いた。その時彼女に今後の夢を尋ねると、当時34歳の彼女は「健康な体と温かい家庭です」と答えた。他の人にとっては何でもないようなことだが、彼女にとっては決してそうではなかったのだ。
しかし今回のインタビューに同席していたのは、なんともうすぐ結婚するという男性だった。彼の名前はグエン・キム・ティエン。軍の幹部で、男らしくまっすぐな印象の男性だった。「私たちがお互いを思う気持ちは全く平等です。私一人が勇気ある人間などと思われたくはないのです。ハンは決して、昔話にあるような迎えに来てくれる男性を待つかわいそうな女性ではないのだから」
彼女について書かれた記事を読んだグエンは、彼女こそは自分が何年も前からひそかに思っていた人だと直感した。「10年ほど前、私たちはホーチミン外国語大学の同級生でした。ハンはとても美人で、私たちはただ一緒に登校するだけの仲。私はとうとう最後まで彼女に思いを告げることはありませんでした。テレビでニュースを見たときは本当に驚きました。もう何年も会っていないけれど、彼女は幸せに暮らしていると思っていました。私も家族も皆テレビを見て泣きました。そして翌朝、私は彼女の職場に電話をしたのです」 ハンはもう何年も会っていないというのに彼のことがすぐに分かったという。「キム・ティエン」という女性のような名前が印象に残っていたからだ。たくさんの励ましの電話の中で、それはまさに運命の巡り合わせのようなものだった。
愛が芽生えるようになったのはいつかと尋ねると、ティエンはこう答えた。「テレビで彼女を見たときからです。そして傷ついた彼女のそばにいたいと思ったのです。たとえ彼女が自分のことを愛していなくても、他の人と結婚していたとしても」 それに対してハンはこう言っている。「彼の気持ちを知った時、うれしさとともに不安も隠せませんでした。自分には彼の愛を受ける資格はないと思ったし、きっと冗談を言っているのだろうと思いました。でも次第に彼が本気だと分かってきたのです」
家族も同僚も応援してくれているとのことで、結婚式には皆駆けつけると言ってくれた。結婚通知だけで結婚式は挙げないつもりだったが、皆がするようにいったのだという。ハネムーン先も遠くではなく2人の故郷で、その後は軍の官舎に住む予定だという。「まずは彼女のリハビリの部屋を準備しなくては」とティエンは言い、「彼と一緒になってから、やっとリハビリに取り組むようになったのだけど、怒られてばかりで・・・」とハンが言う。
結婚式はこじんまりとしていながら温かい式で、同僚や友人がたくさん出席した。歌声が響き、花嫁はピンクのウエディングドレスに身を包んで幸せそうだった。ハンの父親は「この7年間で今日は最も幸せな日だ」と繰り返した。「ティエンは客室乗務員にとって英雄でしょう?」「いいえ、それは夫としての健闘を見てからよ」 そんなやりとりに、ティエンは力強く「皆さん、僕は一生かけてハンへの愛を証明してみせます!」と答えた。
最後にハンの主治医が2人を祝福して言った。「私はあなたたちを病から救うことはできるが、結婚の危機から救うことはできないから、ここで人生の指針となる言葉をあげよう。意見が食い違うことがあっても、さまざまな困難を2人で乗り越えていきなさい。どんなことがあっても愛があれば運命を変えることができ、相手の痛みを和らげることができるのだから」