昨年末、アメリカの新聞がグエン・ティ・ハイさんというベトナム人女性のことを報じた。この女性は所持金600ドル(約7万2000円)で、20年来消息を絶っている息子をアメリカに捜しに来たのだった。ハイさんは心臓病、がん、それにリューマチを患っていて、英語を話すこともできないが、死ぬ前にもう一度息子に会いたいと思ったという。
1986年、当時16歳だった息子のトゥアンはアメリカに渡った。その後家族に送られてきた手紙には「万事うまくいっている。時計修理工の見習いをしている」と書かれており、笑顔の写真が同封されていた。
カリフォルニア州サンタアナという手紙の住所だけを頼りにそこを訪れると、息子は既によそへ移ってしまっていた。ハイさんは途方にくれた。以前誰かが「アメリカで住所もわからずに誰かを捜すのは、海の底に落ちた針を捜すようなものだ」というのを聞いたことがあったからだ。
ハイさんは2006年9月から、病気の体をおしてカリフォルニア州南部を捜し歩いた。ビザの期限は2007年1月まで。彼女は息子を捜し当てる前に病に倒れてしまうのではないかと気が気でなかった。息子の写真を何千枚もコピーして配り、誰彼かまわず息子のことを聞いて回った。そしてウエストミンスターの警察で、二つの恐ろしい知らせを知ることになった。一つは息子が盗みをして刑務所に入っていたこと、もう一つはホームレスのための施設「ロサンゼルス・ミッション」に入っていたことがあるということだった。
2006年11月、サンホセのあるレストランからハイさんのもとへ電話がかかった。店主のフオン・レさんはこの痛ましい話をテレビで知ったという。そして、息子のトゥアンらしき人物が自分の母が営むレストランの裏手に住んでいるということだった。
ハイさんの話に感銘を受けた婦人がサンホセ行き列車の切符をプレゼントしてくれた。ハイさんが訪ねた時トゥアンはいなかったが、店員たちが彼のことを知っていて、いつもパンやめん類などをあげているという。そんな時彼は何も言わず立っているだけだが、態度はとても礼儀正しいのだという。店員たちは彼を探すのを手伝ってくれた。
そしてついにハイさんは、路上に横になっている息子の姿を見つける。息子は誰だかわからない様子だったが、彼女は息子が再びどこかに行ってしまうのを恐れるかのようにしっかり体をつかんだ。警察を呼び、息子を病院へ連れて行くよう頼んだ。医師によると、彼は何かのトラウマにとらわれているようだとのことだった。
実のところ、トゥアンはかつてギャングの一味で、1995年に強盗罪で逮捕され懲役10年の刑を受けていた。5年後に釈放されるが、条件付き釈放の規則を破って3度にわたり投獄され、2006年1月にやっと完全に釈放された。
再会してから5日経っても、息子はハイさんのことを「おばさん」と呼んでいる。彼女の目下の悩みは息子に「お母さん」と叫ばせることだという。