1945年の8月革命後ベトミン軍に参加し、その後ベトナム人女性と結婚した日本人がいた。1960年に日本へわたる時、夫婦には既に6人の子どもがいたが、ちょうどその年に生まれた末っ子が、後に美術教師として母の故郷ベトナムを訪れることになる堀ヤスシだ。
これまでに彼はベトナムで5回、その他の国でも多数の創作キャンプに参加している。現在彼はホイアン町庁舎の敷地内に「川を想う」という石彫作品を制作中だ。彼にとって思い出深いホイアンの川の情景を表現するものだという。それはまた3世紀前にかの地を訪れた日本人たちの心に深く刻み込まれた風景でもある。彼はこの作品を作るためにホイアンを訪れ、文献や現地の人々との会話を通して事前調査を行った。
黒くすべすべしていて川筋のような模様が入っている石はホアイ川を表し、茶色くざらざらした石はホイアンの大地や人々の優しさを表す。2つの間をつなぐのは水平に線が走る繊細な石で、穏やかなホイアンの空を表している。彼曰く「形態は現代彫刻のメソッドに基づいているが、作品の内なる声はベトナム人のもの、東洋文化のものに他ならない」という。
ホイアンの前にもアンザンへ2度、ハノイ、フエへそれぞれ1度ずつ創作に訪れている。「今回7ヶ国から集まった参加者は皆有名であり、準備や計画も周到で非常にレベルが高い。どの作品も作者の意向がよく表現されていて、これまで私が参加したどのキャンプよりも素晴らしい成果が得られるだろう。」と彼は語る。「ホイアン変奏曲2006」というのが今回のキャンプのタイトルで、彼曰く「17の作品はどれも伝統の流れを汲みつつも現代的な視点を持っていて、経済発展の中で危機にさらされている自然への称賛を表現している。」のだという。
「川を想う」という作品の横に立ち、戦争中日本にいながらも常に家族の心はベトナムの方を向いていたと彼はいう。美大を卒業した後ハノイに戻り、ベトナム語を勉強してハノイ美大で教えるようになったのも、両親の生前の願いに応えるためだったという。母について「1974年に亡くなったため、故郷の平和を見ることはなかった。子どもたちにはいつかベトナムに戻り、貢献して欲しいと願っていた。」と彼は語る。
別れ際に彼は、付け加えるようにベトナム人の妻と3歳になる娘がいることを打ち明けた。「ベトナムにうまい諺がある。<木の葉は根に還る>ってね。」