最近カリフォルニア地区のベトナム人コミュニティは、若い世代にベトナム語を教えるために2つの新しいベトナム語クラスを始めた。ロサンゼルスの新聞に以下のように報じられている。
クリスティ・ディンは3歳の頃アメリカに移り住んだ。彼女はベトナム語が話せず、両親は英語が話せないため、いつも意志の疎通に苦労しているという。「長い会話になるとお互いに何を言っているのかわからなくなる。」のだそうだ。母子は夕食のときでさえあまり会話を交わすことはなく、マリーは、クリスティのことをもはやベトナム人とは言えないと思っている。ベトナム料理を作ってもクリスティは決して食べようとせず、すぐにフライドチキンを買いに行ってしまう。
「2つの言語で解り合うのは本当に難しいわ。私は西洋のものに囲まれて育ったから、むしろアメリカ人に近いもの。」とクリスティは打ち明ける。彼女はアメリカ国籍を取得したとき、キム・トゥオイという名前をクリスティに改名した。母マリーはそれを知ってとても悲しんだが、その悲しみと怒りを伝えるために代筆を頼まなければならなかった。
このようなトラブルに対処するために、サンノゼでは1992年よりベトナム語のクラスを開設した。現在、市の12校ある中学のうち6校に通う800人以上の生徒がベトナム語クラスを取っている。サンノゼでの成功を見て、カリフォルニア地区のベトナム人コミュニティもこの運動を始めた。2002年にウエストミンスター中学がカリフォルニア地区で最も早くベトナム語クラスを開設し、最近ボルサ中学とラ・クインタ中学も新たに開設。ガーデン・グローブ中学も今年9月に開設する予定だ。
しかし、指導者不足、適切なカリキュラムや教科書の不足など問題も山積みだ。やむを得ずベトナム系アメリカ人の講師を採用しているが、授業のレベルは十分ではないという。また、まだ活動が浸透していないため個人や連邦基金からの援助を受けづらく、資金面でも困難を抱えている。教科書も教育委員会認定のものがないため、教員が各自のやり方で授業を行っている状態で、授業の質も低く教員によって内容もバラバラだという。最低限の歴史上の人物や事件が載っていない教科書も多い。
しかし、徐々に成功してきているところもある。アリス・ファムは子供の頃からベトナム語の勉強が嫌いだったが、両親の勧めでボルサ・グランデにあるベトナム語クラスに通い始めるとみるみるうちに変化していった。以前好きだったマクドナルドよりもベトナム料理の方を好むようになり、ベトナム語でのミサにも参加するようになったという。彼女は家でもベトナム語を話し、早く上達するようにとベトナム語の新聞も読んでいる。
冒頭に紹介したクリスティは現在ベトナム語クラスに通っている。彼女が母親に宛ててベトナム語で書いた手紙には次のように書かれている。「お母さん、私のことを誤解しないで。きっとベトナム語をしゃべれるようになって、もう決して失望させるようなことはしません。」