(C) thanhnien |
カインさんは家族での食事の様子や両親のことを思い出し、こう語った。「私は年齢の割に身体が大きいですが、いつも両親においしいものを食べさせてもらい、食事の世話をしてもらい、着るものがなくなれば駄々をこねて母に洗濯を手伝ってもらい、2人で一緒に洗濯物を干していました」。
「今は1人でごはんを食べて、自分で洗濯をして洗濯物を干さなければなりません。洗濯物も私1人分だけです。家の中で家族の写真や母のミシンを目にするにつけ、何をするにも空虚で、孤独でただただ両親が恋しいです。夜寝ている時によく両親の夢を見るのですが、夢の中ではみんなで笑っておしゃべりしているのに、ふと目が覚めると私1人しかいません。両親が恋しくて泣き、もう一度寝ようとしてもまた夢で母の姿が見えるんです……。今はもう、夢の中でしか母に会うことができません」とカインさん。
フンさんによると、カインさんの父親であるグエン・バン・サンさんはいつも近所の人たちに野菜や肉、魚を配っていたという。一方、カインさんの母親で、フンさんの妹であるグエン・ティ・トゥエット・マイさんは自宅で縫製の仕事をしていた。
「きっとそのせいでサンは知らないうちにどこかで新型コロナに感染してしまったんでしょう。サンの火葬が終わってマイたち母子2人はホーチミン市に帰りましたが、2日後に今度はマイのほうが陽性になって入院してしまいました。さらに隣に住んでいたカインの祖父母も感染して相次いで入院したんです」と、フンさんは首を横に振って言った。
マイさんが亡くなった日、まだ14歳の少女がショックを乗り越えられないのではないかと心配し、家族の誰もカインさんに母親の死を告げようとしなかった。遺骨を遺族に手渡す任務を負っている軍隊が自宅に到着し、フンさんは遺骨を受け取るために外へ出た。